社会と文学に関するkash06のブックマーク (5)
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側弯症の女性が主人公の芥川賞受賞作﹁ハンチバック﹂。その作者で自身も側弯症である市川沙央さんに﹁ハンチバック﹂の作品に込めた思いなどを尋ねました。作品についての質問から、世間の障害者観についての質問まで、幅広くお答えいただきました。特に、障害者の権利やヘイト言説についての質問には、とても気持ちのこもった痛快な回答でした。 あれでも相手役だった﹁田中さん﹂ (c)撮影‥深野未季︵文藝春秋︶ ──様々な固有名詞や専門用語などが実名で登場していますが、そこに意図はおありでしょうか。 ﹁医療用語、医療機器名に関してはリアリティとともに、日常感を示すためです。特別なものではないということですね。WEB小説用語もそうですね。いや、﹃ナーロッパ﹄とかは、単純に﹃ナーロッパ﹄というワードを純文学の文芸誌に載せたかった、WEB小説界からそのように殴り込みをかけたら面白いじゃんと思って書いていたかもしれません
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よくある、経験と表現にまつわる話について。 ﹁経験したことの方がリアリティがあっていいものが書ける﹂ ﹁経験していないことを書くと、リアリティがなくてよくない﹂ ︵﹁じゃあ、ミステリ作家はみんな殺人をしてるのかよ﹂︶ から進んで ﹁経験していないことを書くべきではない﹂ ﹁当事者以外が、その問題について書くべきではない﹂ まで。 ︵たぶん後者の先に、﹁LGBTQに設定されたキャラクターは、LGBTQ以外の人間が演じるべきではない﹂があるのだろうけれども︶ この理屈、理屈として通っているように見えるけれども、どん詰まりだと思っている。 なぜなら ﹁経験しているからこそ書けないことがある﹂ ﹁当事者だからこそ、語りえないことがある﹂ という現実があり、 ﹁経験していない人が、調べて、想像して、やっと表に出る表現、作品というものが存在する﹂ ということも十分にあるからだ。 戦争に行って人を殺して
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その晩の夕食のメニューは、いつもどおりのすいとんともやしの和え物だった。すいとんといっても、味のない、ぬるい塩スープに白いかたまりが浮かんでいるだけだ。 食事の号令を待っていると、そこへ監視官が入ってきた。汚れてベージュ色になったマスクの紐を右側だけ外し、副首相スタイルでがなり始めた。 ﹁今夜は、明日の迎撃戦をひかえた大切な夜である。ここ横浜は首都防衛の最後の盾だ! そこで、農林水産上級副大臣閣下より、ありがたいお気持ちを頂戴した! これを糧に、明日の戦闘に打ち勝てる!﹂ すると、薄汚れた白衣の給仕班が入ってきて、ソーシャル・ディスタンスを守っているぼくたちのプレートに、肉のかけらとメロンを置いていった。 ﹁食事、開始!﹂ ぼくたちはそれぞれの、ぼろぼろのマスクを外して、食事を始めた。原則、会話は禁止されていたが、一人の男がつぶやいた。 ﹁おれ、ステーキ・チェーンで働いていたからわかるんだ
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ありてなければ ﹁無常﹂の日本精神史 (角川ソフィア文庫) 作者: 竹内整一 出版社/メーカー: KADOKAWA/角川学芸出版 発売日: 2015/12/25 メディア: 文庫 この商品を含むブログを見る なんとなく手にとった一冊。 この本で言う﹁無常﹂は、釈尊の仏教のコアな意味での﹁無常﹂ではなく、﹁祇園精舎の鐘の声~﹂的な、日本人の﹁無常観﹂に近い。というか、タイトルに﹁日本精神史﹂って書いてあるし。 ……﹁はかない﹂とは、﹁はか﹂がないこと、つまり﹁はかがいく﹂﹁はかどる﹂の﹁はか﹂がないことです。﹁はかがいく﹂ように、努めても努めてもその結果をたしかに手に入れられないことから、あっけない、むなしい、という意味をもつようになった言葉です。 して、﹁はかない﹂日本人。この﹁はか﹂の由来については松岡正剛だかだれだかの本でも読んだことがある。﹁はか﹂とは﹁はかる﹂に通じ、それは西洋近代
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将来を期待された若手歌人でした。 “今日も雑務で明日も雑務だろうけど 朝になったら出かけてゆくよ” “非正規の友よ、負けるな僕はただ 書類の整理ばかりしている” 歌が紡がれた背景には、どのような人生があったのか。 私たちの取材に、萩原さんの母親が手記を寄せてくれました。 萩原慎一郎さんの母の手記 ﹁慎一郎は、中学受験で第一志望校に合格して、部活は大好きな野球部に入った。 しかし、監督から怒鳴られ、おどおどして萎縮している様子を真似して度々からかわれた。 野球部が終わると、必ず通学カバンがゴミ箱、掃除用具入れ、トイレ等に放置された。 ﹃生きている価値がない﹄﹃顔が気持ち悪い﹄というような暴言や暴力が続いた。﹂ 萩原さんの部屋は、今も当時のまま残されています。 いじめで退部を余儀なくされた後、萩原さんはこの部屋で読書に没頭するようになります。 萩原慎一郎さんの母の手記 ﹁そのころ短歌に出会った
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