![書いたな、俺の前で、外国地名の日本語表記の話題を!](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/b1638cdb5807a4788e4ba3c1109a984166e095fc/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fanond.hatelabo.jp%2Fimages%2Fog-image-1500.gif)
Published 2023/08/12 16:22 (JST) Updated 2023/08/12 16:29 (JST) 漢字にもっとふりがなを振って―。子どもや外国人が漢字を読みやすくするために、ウェブサイトや出版物、案内板の漢字にふりがなを振るよう出版社や自治体などに働きかける活動を、オンライン証券大手マネックスグループの松本大代表執行役会長が始めた。活動を担う「ルビ財団」を5月下旬に立ち上げ、2年間をめどに1億円の私財を投じて集中的に活動する。 財団は、ふりがなを意味する「ルビ」から名付けた。ウェブサイト上でボタンをクリックすれば、文脈に応じて漢字に自動でルビを付けたり消したりできるソフトを開発し、年内に自治体などへの無償配布を始めることも計画している。
最近、二次元に魂を奪われ二次創作に萌える二次豚とでも呼ぶべき存在どもが、「公式が勝手に言ってるだけ」「原作とアニメで言ってないだけ」という種類の鳴き声を発明した。 歴史学などの一部学問においてはこうした態度が倫理的に要請されてきた、ということはニコニコ大百科でも指摘されているが、そもそもこうした態度はここ半世紀ほど「文学」「テキスト」「作品」といった物事を専門家が語るために用いられてきたものがほぼ起源であろうと思う。「テクスト論」と呼ばれるものがそれである(構造主義の話はしません)。 すなわち「勝手に言ってるだけ」「言ってないけど言ってる」は、文学者がこの半世紀格闘し続けてきたテーマなのである。ちなみに本稿は、加藤典洋『テクストから遠く離れて』をなんとなく参考にして書かれたので、興味のある方はそちらも読まれるとより楽しいかと思う。 さて、半世紀ほど前まで、たとえば夏目漱石の作品を批評する、
Was ist die Muttersprache Jesu? イエスの母語は何か?—紀元1世紀ローマ帝国のポリグロシアについて 2021.12.24 Was ist die Muttersprache Jesu? イエスの母語は何か?—紀元1世紀ローマ帝国のポリグロシアについて 「言語学な人々」アドベントカレンダー12月25日 本記事は、北星学園大学の松浦年男先生がご企画なされた「言語学な人々」というアドベントカレンダーの企画のために書かれました。本記事はこのアドベントカレンダーの最終日のためのものです。「言語学な人々」のアドベントカレンダーの最終日の執筆を承りまして、言語学と聖書学・初期キリスト教文献学・コプト学・エジプト学 と 人文情報学 を学んできたので、これらの知識から何かできないのか考えました。いろいろ面白いアイデアがたくさん思い浮かんできたのですが、どれにしようか迷って、ツイ
言葉を一生擦ってる しばらく前に、ネットである言葉の用法が話題になっていた。 それは「一生」である。「一生○○していた」、「一生○○している」のように用いる人たちがいる。 この場合の「一生」は「ずっと」とか「長い間」という意味を誇張したものだろう。 「週末は一生寝ていた」、「この動画で一生笑ってる」、「すばらしいストライクウィッチーズのフィギュアを買うか一生悩んでる」……。 「ずっと」とか「長い間」を「一生」と表現すること自体は、べつに珍しくもない。 「一生愛し続ける」、「一生ものの逸品」、「一生のお願い」、「くだらないことに一生悩んでろ」。 もちろん一生ではない。いや、一生のこともあるかもしれない。 が、どうも、最近の使われ方には違和感がある。 一生には生というはじまりと死という終わりがある、期限の区切られたものだ。 それをある種の過去形や現在進行的に用いると、なんか変だ。うーん。 使っ
id:wattoさんのツイートから来ました。 「小雨」「氷雨」の「雨」はなんで「サメ」と読むのだろう。 - 爽風上々のブログ 大変に面白い。大好きです。ワタクシいまさらですが学位はありませんが高校時代を含めると30+年、品詞分解を在野の好事家として研究しています。今回、代表4例だけ引きますがこれ、ワタクシのような数寄(好き)者にいわせると直観的に「沖つ白波」「秋つ島」が連想されます。 春雨(春):春つ雨[春の雨。以下同じ。略] 村雨(夏):村(叢)つ雨 秋雨(秋):秋つ雨 氷雨(冬):氷(ひ)(つ)雨 「つ」は現代の「の」に近い連体助詞。奈良時代から盛んに用いられたというのが定説です(岩波古語辞典P.1484下ほか)。平安時代には衰えた。不安定なもので、用例の多い時期は短く、やがて衰える傾向にあった(同)。現代には「目つ毛」(睫毛)「わたつみ」(海神。ワタクシの愛する船橋市海神カイジンは、
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く