考え方に関するkemboorgのブックマーク (4)
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動機 勉強しないといけないのに、5分程度の動画をYoutubeで無限に見たり、SNSを無限に見たりしてしまう、このループから逃れたい。 きっかけ ↑ 昨日バズっていた﹁微弱快楽説﹂。 勉強しないといけないのに、SNSやyoutubeの無限巡回をやめられないのはなぜか。それは﹁微弱な快楽﹂に一定時間触れていると、﹁微弱な快楽を感じ続ける状態がデフォルト﹂だと脳がセッティングしてしまうので、止めた瞬間﹁微弱な快楽﹂が途絶え不快感を覚えるため、という説。 行動療法の学習理論によれば、連鎖化された反応を断ち切るには、直接的な強化と離れている﹁連鎖の初めのほうの反応﹂を除去するのが効果的だという。スマホを触るのを止めたければ、仕事場から自室へ帰ってきたとき指定の場所にスマホを置くなど先行拘束して、連鎖の初めの行動を止めることが有効だろう。 でも私が今からここに書きたいのは、先行拘束に失敗してすでに無
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﹁生ける神の戦列に挑戦するとは、あの無割礼のペリシテ人は、一体何者ですか﹂ 巨漢と対峙したダビデは、ハートの目でこう言った。 聖書の時代より、男の下半身の﹁前﹂に注目するのは男性である。 Benjamín Núñez González CC BY-SA 4.0, Link 一方、女性が注目するのは下半身の﹁後﹂、すなわち﹁尻﹂である。 なぜ男女で男性の下半身に対する着目点が真逆なのか、その理由を生物学的観点から探っていく。 巨乳と対になるもの 前回﹁巨乳美少女と対になるのは巨根男性ではなく、心が通じる有能なイケメンである﹂と書いた。 これに対する反応を見ると賛成が多かった一方で*1、﹁巨乳の対として巨根を出すのは間違いではない﹂とする反対意見も数あった。 そういった反対意見を読んだ上でも、俺の意見は変わらない。女性が身体のパーツに注目されることを忌避するのは、今回の件も含めてよく見かける。
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他の人に一切見せないとしても、作品の感想を書く意味はあるのか。 この疑問に対し、行動科学は﹁ある﹂と回答する。 作品をより好きになるために、自分の脳をハックするのだ。 ターニングポイント ﹃ひとりぼっちの〇〇生活﹄が終わってしまった。 ﹃ひとりぼっちの〇〇生活﹄12話 毎週見ては﹁ぼっち〜 よかったね~﹂と、親戚の子の成長を見守るような幸福感を味わっていた。だがもう会えない。虚ろな目をしながら﹁もしかしたらきっと二期が﹂と公式Twitterを眺めている。 しかし﹁奇妙な点﹂が一つある。なぜ俺はこの作品をここまで好きになっているのかということだ。単純に出来が良いというだけでは説明がつかない。それに途中までは数あるアニメの一つでしかなかった。いったい何が俺を変えたのか。 実を言うと原因は分かっている。これだ。 この記事を書いてから、明らかに﹃ぼっち﹄に対する思い入れが強くなった。順番としては記
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