うん、気持はよく分かるよ。 例えばフィルターとか超使ってるし、タブをドンドン増やしてハイパーリンクでつないで元データから引っ張ってきて計算して表組みを作成するとかいつもやってるような作業が新システムだと厳しい(=できないor莫大な時間と金がかかる)らしい・・。帳票は固定になりますね、帳票増やすと増やした分だけ金かかります、みたいな感じ。 エクセルでできることができない何百万のシステム・・ うんうん。なんでそんな不自由になるんだろうね。 シンプルに考えましょう。きちんとシステム化されていないものをシステム化するというのは言いかえると「業務プロセスを必要最小限に絞る」ことだと思って下さい。 何のために作るのか 理由はいくつかあります。ざっと上げてみると 属人化した業務プロセスを標準化する(しかし、ある人にとってはいつもどおりだがある人にとっては今までやってたことが全然できないシステムになること
インターネットは商業利用または公的機関の利用に限るべきである。全てのサイトは銀行口座と同じく実在の人物を証明し登録することが必要で、トラブルの際には常に身柄の確保が可能であるべきだ。匿名掲示板などとんでもない。ツールも自由に使わせるべきではない。プロトコルを作る権利など一般人にはない。 と、僕が思っているわけではないのだけれども、昨今の匿名での活動を批判する人と言うのはこういうことを考えているのではないかと思ったりする。実名論者の実名であるべき理由が「匿名であることが起こすトラブルを未然に防ぐため」であるとき、その論が実際に言っているのは「実名で行動すべき」ではなく、「インターネットの利用形態を制限すべき」であるというのはちょっと考えればわかると思う。システムとしてトラブルを未然に防ぐということでの「抑止力としての」実名利用というのはあくまで掲示板やブログなど既存の文章ツールの範囲の議論で
とりあえず箇条書きにて整理中メモ。こういうことを考えなければならない議論はあまりしたくないけれども、避けられなくなったときに足元をすくわれないための確認ポイントとして。 自分がしたいのは、議論か考える 自分の主張を押し付けたいだけじゃないのか 相手をバカにしたいだけじゃないのか 相手のしたいのは、議論か考える 電波を発信しているだけじゃないのか こちらをバカにしたいだけじゃないのか 証拠を出せ!と言う前に考える 自分は相手の今まで提示したものを客観的に評価したのか ロジックの間違いを指摘するのに張り切るあまり、評価すべき点を切り捨てていないか 証拠ではないものを証拠と言い張られたときに、何故証拠にならないか説明したか 相手のソースを吟味せず否定していないか 既に相手のトリックに引っかかっていないか 証拠を出せ!と言われたら考える 今まで出してきたものについて、客観的に評価できるものであるか
ちょっと支離滅裂になりそうだが、どうにも書かないと気がすまないので書いてみることとする。 常日頃からネットに対するある種の恐怖を感じていることがある。専門外の人があたかもそれが事実かのようにでたらめを語ることだ。何も言うなとは言わない。疑問を呈することは一己の個人として認められるべきことであるし、硬直化した世界を変える可能性のある第一歩かもしれない。しかし、一つのごく限られた事例−それは時として誤解に基づく事実無根の出来事だったりするのだが−を以って真実として広めようとするのは一体何様なのか。 自分の体験を語るのは構わない。問題はそれを単純に汎化してあたかも真実のように語ることである。無論、自身がそれについての専門家であれば文句は言わない。不誠実な専門家もいるかもしれないから、その人が言うことが必ずしも真実であるとは限らないのは認めよう。しかし、専門家と言うのは、専門じゃない人が思っている
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