歴史とインタビューに関するkukurukakaraのブックマーク (3)
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坂口博信さん、成田賢さんが2024年6月22日放送のJ-WAVE﹃ゆう坊とマシリトのKosoKoso放送局﹄の中で初期﹃ファイナルファンタジー﹄シリーズなどを手がけた天才プログラマー、ナーシャ・ジベリについて話していました。 ︵鳥嶋和彦︶やっぱり当時は︵開発が︶早いよね。 ︵坂口博信︶最長で10ヶ月ですね。 ︵Naz Chris︶ドラクエも早かったんですよね。 ︵堀井雄二︶1なんか半年ぐらいで、2もそのぐらい作っていて。すぐ出したからね。で、3﹂でやっと1年かかったという話なんで。 ︵Naz Chris︶当時のファミコンのゲームって、そんなもんなんですか? 平均的に1年以内で開発できるんですか? ︵堀井雄二︶容量が少ないんでね、分量がなかったんだよね。1で64KBしかないんで。そこに絵を入れて、音楽を入れて、プログラムをしてっていう。 ︵坂口博信︶そうですね。成田が言ったようにナーシャって
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﹃マンガ ドラゴンクエストへの道﹄は、エニックスが出版事業に参入してまだ日が浅い1990年2月に出版された。 同時期の﹁モンスター物語﹂などと同じB5判で、280ページ以上もある長編だ。 中身はご存じだろうが、堀井雄二と中村光一がエニックスと出会い、ドラクエ1を開発するまでの経緯をマンガにしたもの。 有名な本だ。 現在も本書は一線級の資料として扱われており、ときにはゲーム史の参考文献として使用されていることもある。 本の中にはフィクションともノンフィクションとも書いてないのだが、大部分は事実に沿って構成されているが、もちろん一部は脚色も入っているという見方が一般的である。 そこに罠があったという話を、今回やっていこうと思う。 いろいろあったが、結局入手するしかないという考えに至り、こうなった。 のち91年にガンガンコミックスから再編集版が出ているが、単純にオリジナル版のほうが内容が多いよう
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太平洋戦争で親やきょうだいを失った﹁戦争孤児﹂で、戸籍がないまま79年間を生き抜いた人がいるらしい。わずかな情報から、その無戸籍の戦争孤児﹁Aさん﹂を探し始めた私は、首都圏のある河川敷で﹁ダイスケ﹂と名乗るホームレスの高齢男性に出会った。 ブルーシートや段ボールで作った﹁家﹂は橋の下にあり、1945年の東京大空襲で親を失い、4歳で孤児になった。戸籍もないと言う。探し続けたAさんと条件が一致する。 取材は約1年に及んだ。戦後80年をどう生きたのかを知りたくて、口が重い彼を何度も訪ね、対話を重ねた。訥々と語られたその半生は、社会の底辺から見た日本の戦後史だった。︵共同通信=森清太朗︶ ※記者が音声でも解説しています。﹁共同通信Podcast﹂をお聞きください。 ▽﹁83歳、家族は空襲で焼け死に、上野で浮浪児になった﹂ 2023年8月初旬、河川敷には強い日差しが照りつけていた。ダイスケさんに名刺
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