(CNN) エジプト考古省は8日までに、ツタンカーメン王の墓にあると思われていた「隠し部屋」について、実際には存在しないことが分かったと発表した。 ツタンカーメン王の墓の北側と西側の壁画の裏に隠し部屋があるという説は、英考古学者ニコラス・リーブズ氏が発表。2015年には、この隠し部屋にネフェルティティが埋葬されている可能性を指摘していた。ネフェルティティは、ツタンカーメンの父、アメンホテプ王の妻だった。 しかしエジプト考古省の発表によると、イタリアのトリノ工科大学が数カ月がかりで地中レーダーを使って調査した結果、ツタンカーメン王の墓の内部にも隣接区画にも、隠し部屋は存在しないことが確認された。 「隠し部屋は存在せず、入り口やドア枠の形跡もない。これは、埋葬室の隣接区画か内部に、通路または部屋が存在するとしたこれまでの説と矛盾する」。発表ではそう述べている。 エジプト考古相は以前、ツタンカー
「平成」はあと1年となり、来年5月1日からの新しい元号への関心が高まる。しかし、住民票発行や転入・転出届を提出する際、生年月日を西暦で記入できる様式が、京都府内の自治体で広がっている。15市のうち、元号に限定しているのは5市だけで、担当者は「特に平成生まれの若者に西暦記入が多い」という。大学の入学願書を西暦に限るところも目立ち、昭和に比べ、元号の存在感は薄れているようだ。 出生届など国が様式を定める戸籍関係を除き、住民票は市町村が自由に様式を定めることができる。住民票発行と転入・転出届の様式を確認したところ、二つとも生年月日を元号表記で求めているのは、福知山、舞鶴、亀岡、京田辺、京丹後のみ。役所の公文書は元号表記だが、住民には自由に選べるようにしている市が多く、京都、宇治、宮津の3市は両方とも西暦可だった。 1979年の元号法制定時、学者が「戦前の天皇制復活につながり、国際感覚の上でも不便
キリスト教がローマの国教となり、現代に至るも最大の世界宗教となるのは、歴史のカオス的ふるまいであったと。いわば、キリスト教はブラックスワンであったと。 その時代の人にとって、とうていありえそうもないと思える可能性がしばしば現実となることは、どうしても強調しておかなければならない。西暦306年にコンスタンティヌスが帝位に就いたとき、キリスト教は少数の者しか理解していない東方の一宗派にすぎなかった。当時、それが間もなくローマの国教になるなどと言ったら、大笑いされ、部屋から追い出されただろう。今日、2050年にはクリシュナ教がアメリカの国教になっているだろうと言うのと同じことだ。1913年10月、ボリシェビキはロシアの小さな急進的派閥だった。思慮分別のある人なら、彼らがわずか4年のうちにロシアを支配下におくなどとは、けっして予測しなかっただろう。西暦600年に、砂漠に暮らすアラビア人の一集団が、
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