2015年06月01日12:58 by rekishireal 第3回 神武東征――伝説形成論から古代史のなかへ カテゴリ「神話」からたどる古代史 「箸墓以前」――初期ヤマト政権の動向 前回は、従来その実在が否定されている闕史(けっし)八代の天皇をとりあげて、文献上からかならずしも、実在を否定するべきではなく、そこから初期のヤマト政権のあり方を推測することができることを述べた。そこからは、奈良盆地の南東部に拠点を置く、局地的な勢力が周囲の同じような勢力と婚姻関係で結ばれている有様や、それがやがて力を増して、河内や紀伊、丹後の勢力と連携していくこともうかがえた。 このような文献上からの推測は、ヤマト政権の王宮と推定される奈良県桜井市の纏向(まきむく)遺跡のあり方とも符合する。纏向遺跡は庄内式と布留(ふる)式というふたつの土器形式で表される時代にまたがって営まれているが、箸墓(はしはか)古墳は
この記事は昨夜、寝ぼけて書きなぐったので不備がありました。 コメントやブックマークもいただいたので、以下のように補いました。 先日、『史記〈8〉―列伝〈4〉 (ちくま学芸文庫)』滑稽列伝にある西門豹の逸話を取り上げたところ、コメント欄で、古代の人はどの程度まで神話や伝説を信じていたのか、という問題提起をいただいた。 http://d.hatena.ne.jp/t-hirosaka/20120115/1326560052 そういえば『ギリシア人は神話を信じたか―世界を構成する想像力にかんする試論 (叢書・ウニベルシタス)』というような題名の本を読みかけたこともあったが、難しくて途中で投げ出してしまった。 なんだか以前に似たようなことを考えたことがあったように思って、日記を読み返したところ、このブログを始めて間もなくの頃プラトン『パイドロス (岩波文庫)』を材料にそういうことを考えた跡があった
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