ピンク映画とブルーフィルムという呼称はいかにして定着していったのかを三回に分けて書こうと思う。当初はもっぱら﹁エロダクション映画﹂と呼ばれたピンク映画がなぜ﹁ピンク映画﹂という呼称にたどり着いていったのか。それはブルーフィルムという言葉の浸透とパラレルな関係にある。そのためにまずはピンク映画の命名の件から始めてみたい。 ピンク映画というのは内外タイムス文化部記者だった村井実が命名した、ということになっている。最近出版された初めてのまとまった通史﹁ピンク映画史 欲望のむき出し﹂︵二階堂卓也=著︶でもそのように明記してある。これは他でもない村井本人が言い出したことで、村井の著作としては1983年に出版された﹁ポルノ映画おもしろ雑学読本﹂と1989年の﹁はだかの夢年代記 ぼくのピンク映画史﹂に自分がピンク映画の名付け親だ、との記述がある。命名の元となった映画は、独立プロ﹁国映﹂の﹁情欲の洞窟﹂と
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