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ブックマーク / chocoramastudio.hatenadiary.org (2)

  • (1)ピンク映画という呼称を初めて使ったのは斎藤龍鳳である - トントン雑記貼


      19831989 
    (1)ピンク映画という呼称を初めて使ったのは斎藤龍鳳である - トントン雑記貼
    maicou
    maicou 2018/01/12
    エロピンク問題
  • 挽歌〜ムード広告と久我美子に漂うムード - トントン雑記貼

    小説「挽歌」は昭和31年(1956)暮れに発売され、翌年にはベストセラーとなり最終的には72万部を売り上げた。昭和32年(1957)9月には久我美子主演、五所平之助監督で映画化されている。配給した松竹としては「君の名は」に継ぐ戦後二番目の興収をあげた大ヒットとなった。映画「挽歌」の広告は、同じく久我美子主演で昭和28年(1953)に封切られた大映映画「再会」の広告と比べると、いかに異質な広告であるかが見て取れる。「挽歌」のスチルには「再会」でも共演した森雅之が登場せず、北国特有の荒涼とした風景をバックに、久我美子とやっと分かる程度の大きさで人物が佇んでいるだけだ。男優の中もトップクラスの共演者の不在と、寒々とした風景主体のこの広告写真は、小説「挽歌」が新聞雑誌でどのように宣伝されてきたかを辿ることによって明らかとなる。電通の広告景気年表によるとこの映画が公開された昭和32年は新聞広告費が5

    挽歌〜ムード広告と久我美子に漂うムード - トントン雑記貼
    maicou
    maicou 2018/01/12
    なるほどイメージ戦略か。
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