その人の願いは﹁子どもたちが夢を持てるアニメーションを作ること﹂。京都アニメーションが生み出した数々の名作を支え、その礎を築いてきた木上益治さん。﹁木上に描けないものはない﹂とまで言われた圧倒的な画力を持ち、業界では“天才アニメーター”と評されてきました。若手の育成にも尽力し、多くの人たちに慕われてきた実像とその思いを追いました。 ︵田中雄一ディレクター 加川直央 記者︶ “天才アニメーター”の原点は 木上さんが20代のときに働いていた制作会社 西東京市の田無駅から歩いて15分。少し路地に入ると、その一角に、かつて若き日の木上さんがつとめていたアニメ制作会社はありました。出迎えてくれたのは真っ白な長髪にあごひげを伸ばしたアニメーターの本多敏行さん。﹁ドラえもん﹂や﹁怪物くん﹂の作画監督を務め、先輩として木上さんと共にアニメーションを制作してきました。当時在籍していた﹁シンエイ動画﹂に木上さ