「文学の鬼」との異名をとり*1、また、「私小説」という言葉の生みの親としても知られる宇野浩二の作品は、ほぼ自身の実体験に基づくものだったのではないか――、などと何の根拠もなくおもっていたが(というより、昨夏まであまりきちんと読んでいなかったのだが)、改めて読んでみると、実はそうでもないことに気づかされる。 たとえば『蔵の中・子を貸し屋 他三篇』(岩波文庫1992第7刷*2)には、表題作の「蔵の中」「子を貸し屋」のほか「一と踊」「屋根裏の法学士」「晴れたり君よ」が収められているが、創作性の強いことが明らかな「子を貸し屋」は措くとしても、その他の各作品について、宇野自身は「あとがき」で次のように述べている。 『藏の中』は、はつきりいふと、近松秋江先生が、あらゆる著物を質にいれてしまつた上に、自分が現在きてゐる著物まで質にいれてゐる、といふやうな話を、廣津和郞から、聞き、その話を元にして、その頃
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五年半ほど前のことです。「阿部真之助の本」というエントリを記した際に、書誌学者の森洋介氏が、「阿部部長による東京日日新聞學藝部の黄金時代を偲ぶ」著作の一冊として、非売品の『学芸記者 高原四郎遺稿集』(高原萬里子1988)という本をすすめてくださったことがありました。 今年に入って、高原氏のご遺族の方がそのコメント欄にたまたまお目を留めて下さり、当該書を譲ってくださったのでした。 はやいもので、このブログをはじめてから十年以上の時が経ちました。その間、ブログを通じて多くの方々との出会いがありました。そのひとつひとつの御縁に、わたしはたいへん感謝しております。それに対する「恩返し」がいささかなりともできればと、そしてまた、たったひとりの読者でもいい、わたしのこの拙い文章が、どこかのたれかになにがしかの有益な情報を提供できたらいいなと希いながら、このブログを記すことが多くなりました。最近は、なか
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