![軍服に千人針…「祖父の遺品」フリマアプリに 孫世代が出品、戦争史料ピンチ(西日本新聞) - Yahoo!ニュース](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/fba8ae1bb7c740a489c635f72d62b350289d65bd/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Famd.c.yimg.jp%2Famd%2F20200813-00010003-nishinpc-000-7-view.jpg)
約3000人の隊員実名が記載された関東軍防疫給水部(731部隊)の留守名簿。国立公文書館が公開した ペストを投与した人体実験の疑いがある論文の検証を要請している「満州第731部隊軍医将校の学位授与の検証を京大に求める会」(京都市中京区)が14日、京都大で記者会見し、国立公文書館から関東軍防疫給水部・731部隊「留守名簿」の開示を受けたと発表した。 軍医や技師、看護婦など役種と階級、留守宅を記載したもので、3607人が実名で記されていた。研究者は「731部隊構成の全容が分かる第1級の資料。政府が詳細な公文書を保管していたことが戦後70年以上たって初めて明らかにできた」と話している。 今年1月に公開されたのは、敗戦約半年前に作成された名簿。2016年に開示請求した際は「親族や戦犯とその親族を特定する情報」だとしてほぼ黒塗りの部分開示だったが、引き続き開示を求めていた。同会事務局長の西山勝夫滋賀
「歌はかけがえのない喜び」 岡本知高(高知県宿毛市出身)CDデビュー20周年 ベストアルバム発売 3月に宿毛市、高知市で公演
宮内庁が24年がかりで編修作業を進めている昭和天皇の生涯の動静を記録した「昭和天皇実録」が今春にも完成し、新年度から順次、公刊される見通しとなった。 戦前から戦中、戦後の激動期を含めた昭和天皇の初の包括的公式記録で、一部を消す「黒塗り」はしない。新資料も含まれ、昭和史研究の基礎資料として専門家が注目するだけでなく一般にも高い関心を呼びそうだ。 天皇実録は元々、完成時の天皇に献上するために作られており、ほぼ同時期の公刊はされてこなかった。明治天皇紀は1933年(昭和8年)に完成したが、刊行は35年後の68年から。大正天皇実録は、情報公開請求により、完成から約65年後の2002年から11年まで、4回に分けてようやく公開された。当初宮内庁は、昭和天皇実録の早期公開に消極的だったが、「国民の財産でもあり、昭和天皇の事績を広く知ってもらうべきだ」として方針転換。公刊に伴う費用として2014年度予算に
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宮内庁が保管する31万点に及ぶ皇室ゆかりの図書や文書の目録が、1日からインターネットで公開されることになりました。 公開されるのは、宮内庁書陵部が保管する古文書や絵巻物、それに古い写真などで、およそ31万点の目録がインターネットで紹介され、このうち1万点については画像も掲載されます。 中には、薩長同盟の密約の立会人となった坂本龍馬が長州藩の木戸孝允に密約を保証した裏書きや、かぐや姫を題材に江戸時代につくられた絵巻物など、国宝級の図書や文書が数多く見られます。 また、明治時代に東京を上空から撮影した写真や、明治21年の磐梯山の噴火被害を記録したものなど、珍しい写真も多くあります。 これらの目録や画像は、1日の午前9時以降、宮内庁のホームページにアクセスすれば見ることができます。 宮内庁書陵部の石原秀樹図書課長は、「皇室に伝わる貴重な文書の数々をぜひ多くの人に見ていただききたい。目録や画像は今
トップ > 社会 > 話題のニュース一覧 > 記事 【話題のニュース】 杉田玄白の直筆漢詩2首を発見 Tweet mixiチェック 2013年10月20日 02時00分 新たに見つかった杉田玄白の漢詩2首。直筆で1枚の紙に記されていた 医学書「解体新書」の翻訳で知られる江戸時代の蘭方医・杉田玄白(1733~1817年)が晩年に作った漢詩が新たに19日までに見つかった。西洋医学発展の功績が認められ将軍との面会を許される喜びなどを詠んだ2首で、直筆で1枚の紙に記していた。医学への情熱を生涯燃やし続け、長年の苦労が報われた玄白の感激をうかがわせる貴重な史料と言えそうだ。 玄白の漢詩が新たに確認されたのは、1936年に漢詩が書かれた日記を子孫が公開して以来、約80年ぶり。 群馬県高崎市の古書店主の名雲純一さんが今秋、古書市で発見。 (共同) この記事を印刷する PR情報 Ads by Yaho
新古今和歌集の未知の歌が書かれていた切れ端=鶴見大学蔵 鶴見大学(横浜市鶴見区)が所蔵する奈良〜室町期の写本の切れ端を集めた江戸期の「古筆手鑑(こひつてかがみ)」から、新古今和歌集に一度収録されたが、のちに除かれたとみられる未知の歌1首が見つかった。800年以上埋もれていたとみられ、新古今集の編集過程がうかがえる貴重な発見という。 見つかったのは、「さのみやはつれなかるべき春風に山田の氷うちとけねかし」という和歌。早春にこと寄せて打ち解けてほしいと恋人に呼びかける内容だ。作者の藤原隆方(1014〜78)は紫式部の夫の孫にあたる。 鶴見大の久保木秀夫准教授(国文学)が古筆手鑑を調べて、この歌を見つけた。歌が書かれた切れ端は、すでに発見されている新古今集「巻十一」の鎌倉初期の写本の切れ端と、字体や体裁などが一致し、同じ写本から切り取られたものと分かった。しかし、新古今集の全部の歌がそろっ
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