ブックマーク / ishijimaeiwa.hatenablog.jp (2)
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http://d.hatena.ne.jp/kasindou/20060524#p1 http://d.hatena.ne.jp/ADAKEN/20060525/1148484907 私の研究テーマにも深く関わる問題なので、興味深く読ませていただきました。 アマチュア的なプライドを持って情報を収集・解釈・発信せず、ただ商品を買うだけの﹁消費者﹂は岡田氏の考える﹁オタク﹂ではない、ということだと思います。物事の定義が変わっていくのを嘆いてもしょうがないと思うのだけど、彼が嘆いたのはオタクの死そのものではなく、それがオタク文化の死につながるからではないだろうか、と私は思います。 アニメビジネス、コンテンツビジネスが隆盛を誇っているのは現実を見れば分かりますが、そういうビジネスが巧みであればあるだけ受け手は﹁何もせず﹂﹁お客様のように﹂お金を使うだけでオタク文化を楽しむことができます。アニメや漫
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オタクの敵は誰か? などと、上の記事に関連して思ったことを徒然なるままに書いてみたいと思います。 そもそも岡田氏がわざわざオタキングを自称しオタクという概念を彼流の意味を付与して流布させたのは、仮想敵に対する宣戦布告という意味合いが大きかったみたいです。その当時のオタクの敵とは﹁世間﹂という体制でした。 宮崎事件での事実の捏造や事件に乗じた某ライターの存在によるネガティブキャンペーンによって、当時のオタクは今では考えられないような激しい弾圧を受けました。そこで氏は﹁オタク=エリート﹂という図式を打ち出しオタク公民権運動に乗り出したのでした。この当時オタクを社会に受け入れてもらうためには﹁世間﹂という大きな大きな敵を相手にパフォーマンスする必要があったのでした。 今でこそ﹁氏のような人がオタク=人とは違う特殊な人というレッテルを作り出し、オタクを自閉的な存在にしてしまった﹂という意見もありま
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