増田と僧侶に関するnekonyantaroのブックマーク (2)
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浄土真宗の僧侶です。初めて書き込みます。 不慣れなため、先ほど書いた文章がすべて消えてしまい心折れかけましたが、やはり大事なことなので、増田さんに伝わればと願って改めて書き直します。 お祖父様のことをお悔やみ申し上げるとともに、今回このような形で、増田さんやお母様が悲しまれる結果になってしまったこと、痛惜に堪えません。 結論から言わせていただくと、リモート葬儀それ自体に否はありません。そんなもので台無しになるのが仏の教えならば、仏法は2500年も受け継がれたりなどしません。 私から言わせれば、死者を軽んじ、葬儀を台無しにしているのは、ご親族の方だと思います。 葬儀とは﹁弔(とむら)い﹂であります。弔いとは元来、﹁訪(とぶら)い﹂という字を用いました。これは遠近様々な場所から死者の元へと人々が訪れる様子を意味していますが、決してそれだけではありません。 死者に出会うということは、まだ生きてい
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最近は新聞でも目にするようになった﹁空き寺﹂﹁兼務寺院﹂﹁後継者不足﹂が問題として取り上げられているけど、こんなの実はそんなに問題なんじゃないんです。 最も問題なのは、﹁空き寺﹂には誰が住職の籍を置いていて、﹁兼務寺院﹂は誰が兼務しているのかということと、﹁後継者不足﹂なんて実はしていないってことなんです。 ■3つの問題はリンクしている 宗門大学や大きな寺にはアルバイトの在家出身の僧侶なんて多くいるのに、なんで﹁後継者がいない﹂なんて言えるんでしょうか。 この場合の﹁後継者がいない﹂という場合の多くは﹁自分たちの子がいない﹂という意味だと思っています。 在家出身の僧侶はたくさんいるけど、そういう人たちに後継者として寺を任せたくないのが本音なんです。 というのも前述のように﹁寺﹂は﹁家﹂で、僧侶の財産になっているので血の繋がっていない知らない人に任せたくないんです。 何故こういうことが言える
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