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まずは泉立民と玉木民民の話から。 「嫌われることを恐れた結果、認知すらされずに敗北していくのが、提案型野党のような路線だということもできるかもしれません。」 https://t.co/GQt4RktKSh — mittel ( ・∇・) みってる (@mittelfield) 2022年11月21日 ツイートからリンクされた三春充希氏のnoteへのリンクを改めて張る。 note.com 最初にリンクしたツイートから引用されている一節に続く部分から引用する。 けれども目を向けるべき層は具体的にあります。投票に行かず、労働組合などにも組織されず、明かりを見出すことができずに日々を生きることに必死になっている層がおり、それは刻々と増えています。社会は動かない、自分もまた変わることがない、と諦めてしまった層。物価上昇や増税策、防衛予算の肥大化で最も負荷を受ける人たちです。 どの政党もまだ取り込めて
「原発から卒業できない日本はだらしない」と語る中川秀直・元自民党幹事長=東京都内で2021年2月4日、原自連提供 東京電力福島第1原発事故から3月で10年を迎えるのを前に、小泉純一郎元首相と中川秀直元自民党幹事長が東京都内で記者会見した。原発事故後、小泉氏が脱原発を主張しているのは広く知られているが、自民党の実力者だった中川氏はいま何を訴えているのだろうか。 「七十数年前、日本が廃虚になったあの時の歴史もそうだが、どんな立場の人にも誤りはある。問題は現実を踏まえ、それを変える勇気と責任があるかどうかだ」 中川氏はいきなり、そんな話を始めた。「私はかつて政府の原子力委員長、科学技術庁(現文部科学省)長官だった。原発推進派の責任者だったわけだが、あのとき一生懸命やったことは誤りだったと、10年前の事故で思い知った」と語った。 1996年の第1次橋本内閣で、中川氏は当時の科技庁長官(原子力委員会
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