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大人になると読み方がかわる 『こころ』の K はどのような人間なのか K のような苦学生はたまにいた 夜学校の先生になったのは合理的な判断ではあった 苦労すれば強い人になれる 苦学の世界は二つあった 先生と K の旅行 大人になると読み方がかわる 夏目漱石による小説『こころ』は、名作とされている。 初版本復刻版 こゝろ (岩波文芸書初版本復刻シリーズ) 作者:夏目 漱石岩波書店Amazon 有名な作品なだけに、色々な人が様々なことを書いているが、誰もが否定できないのはとにかく面白く読めてしまうことだろう。『こころ』は新聞連載小説であるため、一日の掲載分の終盤には、次回への期待を煽られるようなことが書かれている。ついつい続きを読みたくなってしまうような構造で、このあたりは職業作家夏目漱石の面目躍如といったところであろう。 ただし漱石の初期作品とは異なり、『こころ』には書きながら考えているよう
香日ゆら @kouhiyura ■『JK漱石』2巻2023年11月8日発売 ■ 前作は『三枝教授のすばらしき菌類学教室』全3巻/漱石関係色々に(4コマは『先生と僕』KADOKAWA版・河出文庫版有)、4コマとか『いだてん』明治ことば指導とか。 https://t.co/Izmrs4OOjN 香日ゆら @kouhiyura 漱石がI love youを「月が綺麗ですね」と訳したとかいうここ10年くらいで突然人口に膾炙した出典がないアレ。 いうてもネットやTVや出典確認しない豆知識や文豪ネタまとめにしか載らないだろうと思ってたんですが、 漱石を気になる人が手に取りやすいような本に載ってるのを確認してしまってもうムリぽ 2022-09-20 14:32:28 香日ゆら @kouhiyura ピンとこないかもですが、これは ・知ってる人は当然知ってる有名エピが実はデマだった ではなくて ・漱石調べ
文豪 夏目漱石が書いた代表的な小説のうち半数にあたる12作品について、自筆原稿の所在が確認できなくなっていることが分かりました。調査を行った専門家は、自筆原稿は作品の成立過程をたどる貴重な資料だとして「かけがえのないものであり、大切に受け継いでいくことが必要だ」と指摘しています。 この調査は夏目漱石の研究を続けている早稲田大学の中島国彦名誉教授が行いました。 漱石の自筆原稿が今どこに保管されているか調べたところ、代表的な24の小説のうち半数にあたる12作品で確認できなくなっていることが分かりました。 このうち「坊っちゃん」は、漱石の作家活動を支援した俳人の高浜虚子を介して関係者が原稿を譲り受け、複製も作成されましたが、その後、所有者が変わるなどして所在が分からなくなっていました。 「草枕」は30年ほど前に写真で撮影されていますが、その後、所在が分かっていないということです。 一方、「吾輩は
パロディ小説『吾輩はトイプードルである』 吾輩はトイプードルである。 名前はまだない。 どこで生まれたのかは、トンと見当がつかぬ。 吾輩が、はじめて飼い主を見たのは、変な物に乗せられて、ずいぶんと旅をした後であった。 後で聞くと、その飼い主、ブログという奇怪な世界に両足突っ込んだ種族で、アメリッシュとかいう。ブログ界内でも指折りのアホな種族であるようだ。 しかし、当時はなんとも考えなかった。 アホというものが、どういう生態をしているのか知らなかったからだ。ただ彼女の手のひらにのせられてスーッと持ち上げられたとき、なんだかふわふわした感じがあったばかりである。 しこうして、数年が過ぎ去るのは早かったと言わざるおえない。 まことに、年月というものは情に棹(さお)さして流されていく。 いつしか、この生活に慣れた頃、おのが犬であることを、ようやく忘却しはじめた頃である。それのみか、吾輩はトイプード
先生はKの死をきっかけとして内面的には破滅した。じゃあ、これは元に戻るようなものなのだろうか。回復可能なものかどうか、というのは非常に重要な基準だと思える。要するに最終的には「殉死」で死なねばならないようなものだったにせよ、ある時に「こうしたら直りますよ」と言われて直るようなものであるならば、そこまで心配する必要はないしそもそもこの「こころ」は「こころがいずれ回復する話」ということでまとまったことだろう。 確かに流れは悪かったのは確かだ。Kは自殺するし先生は自分のせいで死んだものだと早合点し、墓に行けば新しい墓(を作ってやった自分)と新しい妻、そして新しい白骨があり、いかにも自分はあの叔父さんのよう。そして結婚しても御嬢さんを見ているとイヤでもKを思い出させられる。こうして時間を追うごとに先生は追い詰められていく。そして最終的に「殉死」することを決めるわけだが。 ・これを考える前に傷であり
本日は150本バットを振りました。 皆様こんばんは。 いかがお過ごしでしょうか。 今日は夏目漱石『それから』を読んで、バットを振りました。 青空文庫より引用しました。 約三十分の後彼は食卓に就いた。熱い紅茶を啜りながら焼麺麭に牛酪を付けてゐると、門野と云ふ書生が座敷から新聞を畳んで持つて来た。四つ折りにしたのを座布団の傍へ置きながら、「先生、大変な事が始まりましたな」と仰山な声で話しかけた。 ということで次の6文を10回ずつ【言って振り】ました。 主人公の代助さんは、歯を磨いた後、食卓に就いた。 焼麺麭(焼きパン)に牛酪(バター)を付けていると、 門野と云ふ書生が座敷から新聞を畳んで持つて来た。 四つ折りにしたのを座布団の傍(わき)へ置きながら、 「先生、大変な事が始まりましたな」 と仰山(ぎょうさん)な声で話した。 《感想》 焼麺麭(焼きパン)に牛酪(バター)は、焼きそばに牛乳と思いまし
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皆様、ご機嫌いかがでしょうか。 本日は【160】バットを振りました。 文豪の文章を読みながら、 バットを振りました。 もしかすれば、 創作家の心の持ち方、 物の観方は、 十人十色だ。 と、3行で済むと思います。 青空文庫より。出だしだけ。 『創作家の態度』夏目漱石 演題は「創作家の態度」と云うのであります。態度と云うのは心の持ち方、物の観方くらいに解釈しておいて下されば宜しい。この、心の持ち方、物の観方で十人、十色さまざまの世界ができまたさまざまの世界観が成り立つのは申すまでもない。一例を上げて申すと、もし諸君が私に向って月の形はどんなだと聞かれれば、私はすぐに丸いと答える。諸君も定めし御異存はなかろうと思う。ところがこの間ある西洋人の書いたものを見たら、我々は普通月を半円形のものと解しているとあったのみか、なぜまんまるなものと思っていぬかと云う訳までが二三行つけ加えてあったんで、少し驚い
本日は210本バットを振りました。 皆様こんばんは。 いかがお過ごしでしょうか。 今日は文豪スイングという素振りを、久しぶりに行いました。 第一高等学校本館玄関前の漱石(1907年2月)ウィキペディアより。 青空文庫に『それから』の予告文がありましたので、ある程度読み、それからバットを振り、繰り返しました。 『それから』予告 夏目漱石 色々な意味に於てそれからである。「三四郎」には大学生の事を描かいたが、この小説にはそれから先の事を書いたからそれからである。 「三四郎」の主人公はあの通り単純であるが、此主人公はそれからあとの男であるからこの点に於ても、それからである。 この主人公は最後に、妙な運命に陥る。それからさきどうなるかは書いてない。この意味においてもまたそれからである。 素振りは10の箇条書きにして、【言う振る】を3回ずつ繰り返しました。 1.色々な意味においてそれからである。 2
皆様、ご機嫌いかがでしょうか。 本日は【160】バットを振りました。 今日は夏目漱石の『三四郎』を 読みながらバットを振りました。 出だしだけ。 1行ずつ【言って振り】ました。 4回繰り返しました。 『あらすじで読む日本の名著2』 より引用。 夏目漱石『三四郎』 小川三四郎は、 東京の大学に入学するため 熊本から上京した。 その途中、山陽線の車中で、 女に出会う。 汽車は名古屋止まりであったため、 その女は三四郎に 名古屋に着いたら迷惑でも 宿屋に案内してくれと頼む。 ということで、現実ではあり得ないようなスタートです。 ↑ウィキペディアより引用。 本日の素振り文武両道の概要。 2024/06/02 素振りの本数 : 160 本, 文武両道スイング, 【20】本, ペーパー投げキャッチスイング, 📄📄, 【20】本, 鏡に笑顔10秒スイング, 😁😁, 【20】本, ツボスイング,
ということでここまでで先生の経緯であり流れというものを意識して書いてきたのだが、ここにきて違和感を感じ始めるようになってきたのでそれについて書くことにする。今までの話は一体何だったの、というくらいの変わり様なんだけどまあそう思っちまったんだから仕方がない。 Kの死は失恋死ではない。この先生の感想であり主観的な見方は恐らく正確だろう。何しろ当事者であり、近くでみてきているわけだから赤の他人がやってきて客観的に「Kは気が狂って自殺した」とみたことよりも余程正確であるとみなしていいだろう。失恋で死んだ、御嬢さんを失って死んだわけだし先生が奪ったから死んだとみると確かに辻褄が合わない点が出てくる。しかしだからといってKの死は絶対に失恋死ではない、全く影響がなかったとみなせるとしたらそれは違うのではないかということだ。 ①まず第一にこの「こころ」を流れを重視して見ていくようにしていると、先生だって最
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