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さる3月に、日本中世史の研究者として名高い呉座勇一さんが、ツイッターの鍵アカウントでさまざまな差別や誹謗中傷を行っていたことが明るみに出、問題となりました。この件では、単に呉座さん個人がひどい発言をしていたという問題ではなく、研究者を含む多数のアカウントが、いっしょに差別やハラスメントを、いわば「遊び」で行っていたことが重大視され、日本歴史学協会が声明を出し、また研究者有志がオープンレターを出すという事態になりました。差別や誹謗中傷がまかり通る学界では、とても今後の発展は望めませんし、実際に攻撃の被害を受けた人を救うためにも、必要なことであったと私は考えます。またこれらの声明やオープンレターに賛同された方がたの中には、過去にハラスメントの被害を受けられたという方もおられるようで、そういった方がたの危機感は一層深いものだったと思います。 しかし遺憾ながら、少なからぬ「ネット論客」や、それに同
第一に、インターネット上で行われる(日本語による)コミュニケーションについての私の理解です。筒井(2020)は、理屈と議論について、 理屈による否定・非難は、続けようと思えばいくらでも続けることができます。決着がつかないはずの議論になんとなくの終わりがあるとすれば、特定の意見が多数派になった場合、権力・権威を持っている人が特定の意見を支持した場合、そして特定の理屈を並べ立てる人に時間的な余裕があって、ずっと反論し続けることができる場合でしょう。ネット上での議論にはこのような状況がたくさんあります。たとえば、ずっとネット端末にかじりついていられる「暇な人」や、口調が強くて権威的に話す人が勝つことが多いのです。
著者: 斎藤環 , 與那覇潤 精神科医・斎藤環さんと歴史学者・與那覇潤さんの対談本『心を病んだらいけないの? うつ病社会の処方箋 』(新潮選書、5月27日発売)の特別企画として、前々回 、前回とコミュニケーションにおける「共感」の問題について考えてきました。今回はさらに驚くべき「共感」の裏側が……!? 同書の中から、一部を再編集してご紹介いたします。 双極性障害にともなう重度の「うつ」をくぐり抜けた歴史学者・與那覇潤さん(左)と、「ひきこもり」を専門とする精神科医・斎藤環さん(右)。 「発達障害バブル」を考える 與那覇 「時代を象徴する病」であるかのように、この十年間で一気に注目度が上がったメンタルの病気は発達障害ですね。「アスペ」(アスペルガー症候群)のような略称がネットで広まり、2017年には岩波明さん(精神科医)の『発達障害』がベストセラーになりました。むしろ有名になりすぎて、なんで
前月の記憶も忘れる社会 目下のコロナ騒動が前例のないものではなく、歴史家の眼で見ればかつて起きた国家的な失敗の反復に過ぎないことを、前編では論じた。しかし私はいま、そうした「歴史」というものの無力さを痛感している。 短くとも数十年、長くて一千年単位の「時間の幅」を意識せずしては、歴史は書けない。この前提にはおそらく、多くの人が同意してくれるだろう。しかし人びとの記憶はいまや、1年間はおろか、1か月も続かないのが現状だと思う。 思い出してほしい。安倍晋三首相が全国の小中高校に、春休みまでの臨時休校を要請したのは2月27日。このとき識者や世論の反応は「唐突すぎる。現場の混乱や共働き家庭の育児など、副作用が大きく乱暴だ」というものだった。 ところが1か月経った3月末から4月頭にかけては、逆に「なぜ政府は緊急事態宣言を出さないのか」との憤懣が急激に高まり、煽られるように4月7日に安倍氏が緊急事態を
なぜ飲食店ばかりが標的になるのか 昨年末から15時開店になっていた都内のバーで、この原稿を直している。客は私だけ。どう考えても「密」にはほど遠く、誰からも不謹慎と言われる覚えはない。 菅義偉・現首相のモットーが「自分でできることはまず、自分でやってみる」(『政治家の覚悟』 後記)だということは、広く知られている。しかし彼の政権には、私がふだん世話になるお店を助ける気がないらしい。だから文字どおり、「自分でできることをまず、自分でやりに」来たわけだ。 1月8日から首都圏(1都3県)では再度、日本政府による新型コロナ対策のための緊急事態宣言が適用されている。しかし2020年4~5月の「最初の緊急事態宣言」と比べても、これはおかしなことばかりだ。 昨春のコロナ第一波の際、東京都が記録した1日の感染者数のピークは256人である(4月9日)。一方で、同年12月31日には1337人の感染者が確認され、
無料ダイジェスト動画はこちらからご覧いただけます。 https://youtu.be/e3M0aefyWbQ ■ 【イベント概要】 ゲンロンカフェでは2021年7月、歴史学者の與那覇潤氏と近現代史研究者の辻田真佐憲氏を招き、東浩紀が聞き手となって「物語と実証の対立を超えて」と題したイベントを開催しました。 SNSやネットでは、過去の経緯を無視し、「いまここ」の正しさだけを意識した応酬が繰り返されています。そこでは右派も左派も実証(エビデンス)を振りかざしますが、いっこうに新しい物語は立ち上がってきません。そんな不毛な状況を乗り越えるためには、「新しい歴史教科書をつくる会」が生まれ、歴史修正主義と実証主義が同時に流行し、過去への視線が大きく変わった1990年代まで遡り、歴史学の語り全体を振り返る必要があるのではないか。そのような問題提起でイベントは終わりました。 このたびゲンロンカフェでは、
ポイントを外した各社の報道 6月18日、河井克行・前法相(衆院議員)とその妻の案里・参院議員が公職選挙法違反で逮捕されました。2019年に案里氏が広島選挙区で初当選した際、夫婦で違法な報酬をばら撒き買収まで行ったとする容疑で、近年まれな大疑獄といえるでしょう。 政治メディアの報道も過熱しており、 (1)克行氏が自民党内で安倍晋三首相への支持を取りまとめ、「側近」と呼ばれる地位を得ていたこと。 (2)広島選挙区には参院自民党の長老だが、安倍首相とそりの合わない溝手顕正議員(当時)がおり、案里氏の出馬には溝手氏を追い落とす意図があったとみられること。 (3)実際に案里氏の陣営には溝手氏の10倍に近い、1億5000万円もの政治資金が自民党から提供されていたこと――などに、日々注目が集まっています。 これらはたしかに大きな疑惑ですが、私には最大のポイントを外しているように思われます。そもそも参院広
日本学術会議という、平素は話題に上ることすら乏しい組織が珍しく注目されている。同会議が新たな会員(規定にのっとり全体の半数を改選)として推薦したメンバーのうち、6名が任命されなかったからだ。 法律上、任命権者は内閣総理大臣と定められているので、菅義偉首相が「任命することを拒んだ」形である。6名のうちに加藤陽子氏(歴史学)・宇野重規氏(政治思想)という、幅広い媒体でオピニオン欄・書評欄の常連を務める「著名研究者」が入っていたことも、問題を激化させているようだ。 官邸は任命拒否の理由を明らかにしていないが、6名全員が安全保障法制ないし共謀罪に反対し、「学者の会」を組織して活動していたため、それが理由だと目されている(違うというのであれば、官邸側が反論すべきだ)。これが火をつけたのか、平素は眼前の政治には我関せずという姿勢の研究者や大学教員たちまで声を上げ、ネット上ではかなりの規模の騒動となった
「批判回避」を最優先する政治家たち 「ウィルスより人が怖い」 ――こうしたドラッグストアの店員さんの声が報じられたのを、ご記憶の方も多いでしょう。パニックに煽られた客がトイレットペーパー等の紙製品に殺到し、不穏な空気が街中の商店に流れた3月上旬のことです。「紙不足はデマだ」という正しい情報が広く知られた後も、実際に店頭で当該の品物を見かけない日々は長く続きました。 世界的にコロナウィルスの流行は続いており、わが国でも安倍晋三首相や小池百合子都知事が頻繁に会見を開いては、国民(都民)に「自粛」を要請するパターンが繰り返されています。そうしたニュースを報じる記事のコメント欄を見れば、しびれを切らしたのか「もう緊急事態宣言しかない」「一刻も早く都市封鎖してくれ」といった書き込みが溢れている。SNSでも同様でしょう。 しかしそうした世相を見るたび、私の脳裏には「コロナより批判が怖い」というフレーズ
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著者: 「ひきこもり」を専門とする精神科医・斎藤環さんと、「重度のうつ」をくぐり抜けた歴史学者・與那覇潤さんが、心が楽になる人間関係とコミュニケーションを考えた対談本『心を病んだらいけないの? うつ病社会の処方箋』(新潮選書)が、2020年5月27日に発売されることになりました。月刊誌「波」で行われた刊行記念対談の一部を、「考える人」にて先行公開いたします。ぜひご一読ください。 左から與那覇潤氏、斎藤環氏 エビデンス主義の限界 與那覇 この春の新型コロナ騒動でトイレットペーパーがあっという間に売り場から消えたのを見て、改めて本書で論じた「うつ病社会」の問題点が浮き彫りになったなと感じました。 医療の専門家が「エボラ出血熱のような致死率の高いウイルスではなく、お年寄りや病人以外は、過剰に恐れる必要はない」、各種のメディアが「トイレットペーパーは国内で生産しており、供給が止まることはない」とエ
2022年1月14日、中世史家の呉座勇一さん、近現代史研究者の辻田真佐憲さん、そして評論家の與那覇潤さんをゲンロンカフェに迎えたイベント「歴史修正と実証主義──日本史学のねじれを解体する」を開催しました。 百田尚樹氏の『日本国紀』についての議論から始まったイベントは、歴史における「事実」と「物語」、国民国家とポストモダン、学術書と新書、専門家と史論家など、さまざまなものの「あいだ」を検討していくものになりました。「いまここ」の正しさばかりを主張する論争が繰り返される現代社会で、歴史を語り直すことのさきに見えるものとは。必読の鼎談です。 本イベントのアーカイブ動画は、シラスで7月14日まで公開中です。 URL=https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20220114 また、6月10日には、呉座さん、辻田さん、與那覇さんによる鼎談シリーズの第2弾「開かれた
さる3月に、日本中世史の研究者として名高い呉座勇一さんが、ツイッターの鍵アカウントでさまざまな差別や誹謗中傷を行っていたことが明るみに出、問題となりました。この件では、単に呉座さん個人がひどい発言をしていたという問題ではなく、研究者を含む多数のアカウントが、いっしょに差別やハラスメントを、いわば「遊び」で行っていたことが重大視され、日本歴史学協会が声明を出し、また研究者有志がオープンレターを出すという事態になりました。差別や誹謗中傷がまかり通る学界では、とても今後の発展は望めませんし、実際に攻撃の被害を受けた人を救うためにも、必要なことであったと私は考えます。またこれらの声明やオープンレターに賛同された方がたの中には、過去にハラスメントの被害を受けられたという方もおられるようで、そういった方がたの危機感は一層深いものだったと思います。 しかし遺憾ながら、少なからぬ「ネット論客」や、それに同
著者: 斎藤環 , 與那覇潤 先日公開した「トイレットペーパーはなぜ消えたのか?」の記事に、大きな反響をいただきました。そこで今回は、とくに関心の高かった「同意なき共感」について、斎藤環さんと與那覇潤さんの対談本『心を病んだらいけないの? うつ病社会の処方箋』(新潮選書、5月27日発売)の中から、一部を再編集してご紹介いたします。 双極性障害にともなう重度の「うつ」をくぐり抜けた歴史学者・與那覇潤さん(左)と、「ひきこもり」を専門とする精神科医・斎藤環さん(右)。 ヤンキーに癒された入院体験 與那覇 双極性障害にともなう重度の「うつ」のために、2015年に約2か月、入院をしました。各種の研究もしている大学病院だったこともあって、病名としても年齢層としても、幅広い患者さんと知りあうことができました。 斎藤さんと初めてご一緒したのは2014年の頭に、日本社会の「ヤンキー性」をめぐって対談(※1
呉座勇一氏のNHK大河ドラマ降板を憂う - 與那覇潤|論座 - 朝日新聞社の言論サイト 今話題のこれ。自分は一般論部分には特に反論はないし具体論についても部分的に同意するところはある。 まあその上で色々思うとこがある中で恐らく最もどうでも良さそうなところに噛み付くのだが。 元のツイートは職業や学歴など、本人の選択次第で「移動可能」な特性を非難するのは差別ではない、とする(呉座氏以外の)主張に対して、そうしたロジックを認めれば「在日問題も『帰化しろ』で終了してしまう」と批判したものだ。 これの話って五野井DaDa論争のことだろうと思う。以下のTogetter見るに個人的には心底”Theネット”という感じで大変意義のない争いにしか見えんけど。 学者「ナチズムには差別が内在しているので表現の自由に値しない。共産主義?それは別」 - Togetter けどこの與那覇先生の読解って正しいんですかね?
なぜ政府の対応は「二枚舌」になるのか 欧米諸国に比して軽微な被害にもかかわらず、コロナ以後の日本社会はいよいよ混沌としてきました。7月下旬の4連休に間に合わせるべく、同月22日から国の観光業支援策である「GoToトラベル」がスタート。しかし一方では連日公表される感染者数の増加から自粛が呼びかけられ、そのGoToも利用者の要である東京都が適用対象外になるなど、ちぐはぐな対応に不満の声が上がっています。 「アクセル(旅行の促進)とブレーキ(在宅の呼びかけ)を同時に踏むようだ」とする批判を、いまやメディアやSNSで目にしない日はありません。しかしそうした矛盾が、安倍晋三首相や小池百合子都知事といった「眼前の政治家」の未熟さに起因するのではなく、日本史上では「ほとんど常にそうだった」伝統をなぞっているのだとしたら、どうでしょうか。――ちょうど半世紀前の時点で、すでにそうした問いを深めた思想家がいた
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12月19日、東浩紀の新著『ゲンロン戦記――「知の観客」をつくる』(中公新書ラクレ)の刊行記念イベントが行なわれた。本書は、東がゲンロンを経営するなかでぶちあたった挫折の数々を赤裸々に語った本として話題沸騰中だ。失敗からこそ導き出されるその哲学に共感する読者の声も多く聞かれる。 イベントはお祝いムードのなか進んだが、たんなる「ゲンロン礼賛」だけでも終わらなかった。東の対談相手を務めた歴史学者の與那覇潤が、『ゲンロン戦記』を評価すると同時にいくつかの批判的な問いを投げかけたからだ。司会として、同書で聞き手・構成を務めた石戸諭がふたりの議論を橋渡しするかたちで議論は展開した。 さまざまな問題が縦横無尽に語られた充実の7時間のなかから、ここではゲンロンの観客や読者をめぐって議論が行われた場面を取り上げる。「ゲンロンって結局は東浩紀信者の集まりでしょ?」という見方が仮にあるとして、東はそれにどう返
無料ダイジェスト動画はこちらからご覧いただけます。 https://youtu.be/e3M0aefyWbQ ■ 【イベント概要】 ゲンロンカフェでは2021年7月、歴史学者の與那覇潤氏と近現代史研究者の辻田真佐憲氏を招き、東浩紀が聞き手となって「物語と実証の対立を超えて」と題したイベントを開催しました。 SNSやネットでは、過去の経緯を無視し、「いまここ」の正しさだけを意識した応酬が繰り返されています。そこでは右派も左派も実証(エビデンス)を振りかざしますが、いっこうに新しい物語は立ち上がってきません。そんな不毛な状況を乗り越えるためには、「新しい歴史教科書をつくる会」が生まれ、歴史修正主義と実証主義が同時に流行し、過去への視線が大きく変わった1990年代まで遡り、歴史学の語り全体を振り返る必要があるのではないか。そのような問題提起でイベントは終わりました。 このたびゲンロンカフェでは、
心を病んだらいけないの?―うつ病社会の処方箋―(新潮選書) 作者:斎藤環,與那覇潤 新潮社 Amazon 医師と当事者 おれは精神科医の書くものが好きである。一般人、患者向けに書かれたものでもよいし、同業者に向いて書かれたものでもよい。後者はもちろんむずかしいこともあるが、なにやら「相手の手の内を知る」ような気になるのもたしかである。 おれは同病者の書くものが好きである。具体的に言えば精神病を患っている人の書くものである。できることなら自分と同じ双極性障害(躁うつ病)II型だとなおさらよい。「こうすればよくなった」という体験談でもいいが、べつに前向きな話でなくともよい。こっちはこうだ、そっちはどうだい? という単なる興味である。 となるとこの本、『心を病んだらいけないの? うつ病社会の処方箋』はベリーベリナイスな本ということになる。斎藤環は精神科医だし、與那覇潤は双極性障害を患った人である
開催で「変異株の祭典」は起きるのか どうやら、本当にオリンピックをやるらしい。 7月4日の都議選にむけて、第一党である都民ファーストの会が「無観客での開催」なる公約を発表したのは6月15日。同党のオーナーと呼べる小池百合子都知事には、この際「開催中止」を掲げて勝負に出るとの憶測が絶えなかったが、その選択肢は消えた。 国政でもまさに同じ日、菅義偉内閣に対する不信任案は粛々と否決され、これまた一時は噂された五輪前の衆院解散は見送られた。いかに野党内に中止を唱える勢力が存在しても、議会政治という手段で東京五輪の開催を止めることは、すでに不可能になったと言ってよいだろう。 もっとも新型コロナウィルスの流行、および呼びかけられる自粛政策への不安/不満から、国民感情は盛り上がっているとはなお言いがたい。特に開催地の東京では飲食店での「酒類提供の制限」がいまも続くなか、選手村での飲酒は(実質的に)自由と
里帰りや旅行を満喫した正月気分も束の間、巷では再び新型コロナウイルスの感染者が激増している。連日報道される「数値」に一喜一憂する生活もまもなく2年――。この間、我々日本人は「何か」を蝕まれてはいまいか。評論家の與那覇潤氏(42)がその実相に迫る。 【写真8枚】この記事の写真を見る *** 日本では2020年の3月に本格化した新型コロナウイルス禍から、まもなく2年となります。不安をあおるメディアの報道や、政権による場当たり的な自粛の要請が世相を萎縮させ、私たちの社会全体が、すっかり「うつ病的」になってしまいました。 女性や子どもの自殺者の異例なまでの増加は、死に至る疾患としての「文字どおり」のうつ病が増加していることをうかがわせますが、それだけではありません。どうにか危機をしのいでいるように見える「健常者」の一人ひとりにすら、いまやうつ病に近いともいえる傾向が忍び寄っていると、私は考えていま
旧ソ連崩壊を「予言」したことで知られる仏の歴史人口学・家族人類学者、エマニュエル・トッドさんと、日本近現代史に詳しい評論家、與那覇潤さんの対談。下は、日独社会の比較から日本を縛る江戸時代の名残、東アジア共通の課題である少子化にと話題が広がった。【構成・鈴木英生、写真・和田大典】 <対談の上は「高等教育と大衆が分断した欧州」です> 家族形態の似た日独の違いは? 與那覇 これからの日本を考えるうえで気になるのは、トッドさんが日独を同じ直系家族=注=に分類していることです。「親の家業を継ぐ」意識から来る保守的な気風が強い半面、集団行動に適した組織を持つため、両国とも近代に急速な産業化を達成できたとされています。 しかし冷戦後、ドイツはヨーロッパ共同体(EU)を積極的に運営し、トッドさんの観点では帝国的とさえ呼べるほど自国に都合のよい周辺秩序を作りあげました。逆に、日本は、ひたすら内に閉じこもって
2021.09.07レポート 與那覇潤×安田峰俊 コロナが生み出す「中国化する世界?」 オンライントークイベント抄録 8月に『平成史―昨日の世界のすべて』を上梓したばかりの與那覇潤さんと、今年も『中国vs.世界 呑まれる国、抗う国』など旺盛な執筆を続ける安田峰俊さん。平成の日本から、コロナ時代の世界情勢に至るまで語り合ったオンライントークイベント(ジュンク堂書店池袋本店主催、2021年8月19日)を抄録します。 ■武漢ロックダウン礼賛論の不可解 與那覇 安田さんと知り合ったのは、今から10年前の2011年、つまり東日本大震災の年です。私は同年の11月に『中国化する日本』を刊行したのですが、その際SNS経由で現代中国について教えていただいたり、著者インタビューをしてくださったりしたのがきっかけでした。 当時は「日本が中国化している」と主張すると、何を突飛なことを言っているんだと叩かれたりもし
『クレイジー・ハート』&『この世界の片隅に』 著者: 斎藤環 , 與那覇潤 精神科医・斎藤環さんと歴史学者・與那覇潤さんの対談本『心を病んだらいけないの? うつ病社会の処方箋 』(新潮選書)の刊行を記念して、著者のお二人に、治療者の視点から、体験者の視点から、それぞれのお薦め映画について話していただきました。第一回は、「病気から回復中の人」にお薦めしたい映画。ぜひご一読ください。 双極性障害にともなう重度の「うつ」をくぐり抜けた歴史学者・與那覇潤さん(左)と、「ひきこもり」を専門とする精神科医・斎藤環さん(右)。 「明るい映画」がいいわけではない 與那覇 病気の人、特にうつの人に映画を薦めると聞くと、「ハッピーになれる」「元気が出る」みたいなタグが付いているポジティヴな作品を連想しがちだと思います。もちろん善意でのことなんですけど、実際に重度のうつを体験した身からすると、これはむしろ避けて
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。 「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。 どうして自分が「考える人」なんだろう――。 手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな
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