1960年、ハリウッドの﹁ストライキの終わり﹂がこの部屋で始まった。俳優のチャールトン・ヘストン︵右︶が映画製作者協会︵AMPP︶のリーダーと握手している。それだけではない。のちに米国の大統領になる俳優のロナルド・レーガン︵中央右︶が映画俳優組合︵SAG︶の交渉を主導していた。︵PHOTOGRAPH BY BETTMANN, GETTY IMAGES︶ 1960年、米国のいわゆる﹁夢の工場﹂が停止した。ハリウッドの俳優と脚本家がストライキに突入したのだ。ハリウッドの人材の大部分を代表する2つの組合、映画俳優組合︵SAG︶と全米脚本家組合︵WGA︶は、賃金と待遇を改善するよう映画製作者に圧力をかけるため、組合員にストライキを指示した。 それから63年後の現在、俳優と脚本家は再び団結し、1960年をほうふつさせるストライキでハリウッドを停止に追い込んでいる。当時のストライキは、急速に変化する業
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