元禄15年12月14日、大石内蔵助をはじめとする四十七士が吉良上野介を討ち取る﹁赤穂事件﹂が起こった。これに至る顛末を描いたのが﹁忠臣蔵﹂だ。かつてはよくドラマや映画になった﹁忠臣蔵﹂だが、最近では映像化される機会も格段に減ってきている。いったい、なぜなのか…? 時代劇研究家の春日太一氏の新刊﹃忠臣蔵入門﹄から、その理由を紹介しよう。 実は﹁一大プロジェクト﹂だった 忠臣蔵の映画やドラマが長いこと作られてきた背景として、作り手側にも大きな事情がありました。 ﹁忠臣蔵﹂は大きな見せ場だけで六つあります。それぞれ屋内が主な舞台になるため、セットを作る必要があります。 ﹁松の廊下﹂であれば、かなり長い廊下で襖に大きな松が描かれている。﹁大評定﹂の広間は赤穂藩の藩士全員が入る広いスペースになります。それから、祇園で大石が遊ぶ遊郭に﹁東下り﹂の宿に瑤泉院の屋敷。さらに討ち入りで使う吉良邸のセットも、