ブックマーク / kamiyakenkyujo.hatenablog.com (30)
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白河桃子﹃格付けしあう女たち﹄は、女性たちがそれぞれに分断された社会の中でさらにカースト化し、分断し合う様をルポしている。そして、﹁なぜ女同士はつながれないか﹂という問いを立てている。 一見すると白河のルポは、分断を憂え、なんとかつながろうと努力しているように見える。 ﹁鍵は多様性と未来思考﹂などの文言が踊る。 だが、ぼくは違和感を覚える。 白河は﹁多様性﹂を訴えながら、根底には専業主婦という生き方への批判が見え隠れするからである。 これからは専業主婦という選択はどんどん滅んでいくはずです。その選択を否定するわけではなく、もう無理なのですね。結婚を夫の単一インカムで維持していくのは。︵白河p.70︶ すでに現在ですら、専業主婦は﹁裕福﹂と﹁貧乏﹂に二極化しています。そして今一番裕福なのは専業主婦世帯ではなく﹁共働き世帯﹂です。……専業主婦を否定するつもりはないのですが、今後、豊かで満足な子
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このエントリを読んで思い出したこと。 格差は教育費無料でも広がる ぼくは無料塾で講師のようなことをやってきたが、この春、ずっと教えてきた中学生のRくんが志望する学校に合格できた。万歳!Rくんは前のエントリでも書いたけど、﹁偶数と偶数の和はなぜ偶数か﹂という説明をぼくがして、なかなか理解してもらえなかったという話に出てくるコである。 偶数と偶数の和は偶数であることの説明 - 紙屋研究所 偶数と偶数の和は偶数である・リベンジ - 紙屋研究所Rくんのお母さんの話では﹁その進学しようと思っている学校の入試の過去問をきちんとやっておけばよい﹂と担任が言っていたとのことだった。3年分の過去問が実際に中学校から手渡されていた。そこでお母さん、本人と話し合って、入試までも残りの時間は過去問をカンペキにできるようになっておこう、ということを目標にしてやることにした。ぼくは﹁過去問はカンペキに解けるように
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またもし、おまえたちが孤児に対して公正にできないことを恐れるなら、女性でおまえたちに良いものを、二人、三人、四人娶れ。それでもし、おまえたちが公平にできないことを恐れるならば、一人、またはおまえたちの右手が所有するものを*1。それがお前たちが規を越えないことにより近い。︵中田考監修﹃日亜対訳クルアーン﹄p.107︶19世紀の中央アジアを、現実的・歴史的根拠をもとにフィクションで描く森薫﹃乙嫁語り﹄は、7巻でイスラームの﹁一夫多妻﹂をテーマにする。 アニスは富豪の嫁である。 ﹁奥様は本当にお幸せでございますね﹂ ﹁そう?﹂ ﹁そうですとも 何不自由なくお暮らしですし こうして男のお子様にも恵まれて 旦那様だって これだけのお家なら もう2・3人 奥方をお持ちに なってもよろしいのに 奥様ひとすじで ございますからねえ﹂ というのがアニスのデフォルトである。夫はグラフィックからしていかにも優
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この記事だけど、 危ないよ!死んじゃうよ!って2歳児にどうやって伝えたらいいのか。 - yuki'sblog... 交通事故、家庭内事故、その他でいろいろ違うと思うんだ。 交通事故におけるルール遵守というのは、1万回のうち1回は守れないなら事故には遭わないけど、5回は守れるけど1回は守れない、というのではいつか事故に遭ってしまう。 小児科医の今井博之は言う。10歳未満の子どもは近代の交通環境に対処できるだけの生物学的発達段階に達していないことが、発達心理学で証明されていますから、この年齢の子どもをいくら教育しても、事故を減らすことはできません。 子どもが自ら危険を察知し、自分で判断して安全行動をとることができるようにしようとする教育は、単に大人が一方的に子どもに押しつけているだけの妄想にすぎません。︵今井博之﹁子どもの事故を防ぐために8 歩行者事故﹂/﹁ちいさいなかま﹂2013年11月
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ああ、だれか教えてほしい。コメント欄かツイッターで返信を。 いまぼくは、無料塾で中学2年の数学を教えている。 無料塾というのは、カネをとらずに小中高の生徒が集まり︵うちは小中しかいないが︶、講師もボランティアで教えるというもの。教育を貧困克服の一つの回路と考えて、その支援に力を入れている。 ぼくが参加しているのは、基本は小中学校生の﹁宿題をやる会﹂みたいな感じで、そこでごく数名が講師にわからない点を聞いているみたいな風景。 ぼくは大卒だけど、家庭教師の経験がない。 だから、教え方に関してはド素人である。 いや、﹁教え方のド素人﹂というのは、冷や汗が出るよな、とつくづく思った。 今日苦戦したのは、こういう問題だった。 その子は次の問題を﹁わからない﹂と言ってきた。 ︵問題︶ 正さんは﹁偶数と偶数の和は偶数である﹂ことを説明しようとして、次のように説明した。 ・mは整数である。 ・ゆえに2mは
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家事労働と聞いて、﹁あ、おれ関心ない﹂という男は多いだろう。ぼくもそのクチであった。著者も苦労したらしい。本書の発端となる連載には反響も大きかったのに、 出版社へ企画を持ち込むと、反応はさっぱりだった。︵本書p.234︶ 家ではカミさんに感謝しているぜ、という男性社員。私は働いているから関係ない、という女性社員。家事労働なんていう地味な話題はやめろ、これからは女性進出の時代だよ、という後輩。﹁家事労働の本﹂と聞いてイメージする消極的な反応にとりまかれたのである。 正直、ぼくも﹁専業主婦の働きをお金に換算して評価する話﹂みたいなイメージが強くて、﹁ふーん…﹂という感じになってしまっていた。ふーん現象。 家事労働の在り方が私たちの会社での働き方や社会政策にまで広く影響を及ぼすのだと力説しても、﹁料理や洗濯がなぜ会社の仕組みや福祉制度に関係あるんですか?﹂と首をかしげられた。︵同前︶ 結論めいた
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週刊プレイボーイの先週発売分に、海野つなみ﹃逃げるは恥だが役に立つ﹄の書評を書いた。 このマンガは25歳の女性・森山みくりが主人公で、大学卒業時にも就職できず、大学院にすすんだがその後も就職できず、派遣の仕事もやがて切られて無職になってしまうところからスタートしている。彼氏もいない。 みくりは、報酬をもらいながら父の元部下・津崎平匡︵36歳︶の家事代行をやっているうちに、みくりの実家が引越しをしなければならなくなり、主人公は雇用継続をしたたままでは住居がなくなる危機に直面する。 そこで、住み込みでやればいいのでは?→いっそ結婚すればいいのでは? というふうに話がすすんでしまう。その﹁結婚﹂はただの結婚ではなく、いわば偽装結婚。結婚にともなく各種の控除や特典を得ながら、住み込みの家事代行を続けるための方便として使われる。 ここでは結婚は﹁セックス・恋愛﹂+﹁家事労働﹂として現れ、みくりの場合
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※このエントリをきっかけにして、本を出しました。 http://www.shogakukan.co.jp/books/detail/_isbn_9784098252077 http://d.hatena.ne.jp/kamiyakenkyujo/20140921/1411290361 ごみ収集のサービス︵の一部︶を受けるには、自治会に加入しないといけないというこの話。 ゴミ収集は行政のサービスだろ? 元増田が引っ越した鹿児島のある自治体では、ごみをステーションに捨てようとしたら﹁お前は自治会に入ってないからこのステーションは使えない﹂と言われたというのだ。 元増田は、ごみ収集は自治体︵市町村︶の仕事なのだから、税金で支出されるべきで、自治会費負担をからませられてはかなわない、と主張する。これにたいして、はてブのコメントでは、 自治ってこういうことだろ、住んでる所によって行政サービスや経費が
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ぼくの娘はなぜ﹁待機児童﹂になれなかったか きょう︵2013年4月3日付︶の朝日新聞に﹁待機児童 数え方変だよね﹂という記事があった。 朝日新聞デジタル‥︵くらし時々?︶待機児童、数え方変だよね 育休延長も認可外利用も含まず - ニュース 保育園の待機児童というのは、保育園に入れない子どものことだろう、という人がいると思うが、そんなに単純な話ではないのだ。いや、単純にしてほしいんだけどさ。 たとえば、ぼくは子どもが生まれて3カ月たって、近くの認可保育園︵カンタンにいうと国の基準に合ったと認められた保育園︶に入れないか探したのだが、どこにも空きがなかった。それで育児休暇を8カ月もとるハメになったのだが、そのときぼくの娘は﹁待機児童﹂だったのか。え? 待機児童だったに決まってるって? ブッブー。答は﹁待機児童ではなかった﹂。 なぜなら、﹁空いたら入れてほしい﹂というふうに申し込んでいなかったか
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5歳の娘を通わせている保育園では、英語とかはもちろん、﹁あいうえお﹂などは教えていない。しかし、生活発表会でしりとりをしたりする。このあたりのところをどう考えたらいいのか、よくわからなかった。 この保育園に来ている父母のかなりの部分は、早期教育︵早教育ともいう︶に非常に批判的な印象をもっている。だから、わざわざこの園に来ている、という人もいる。ぼくらも、自分たちの娘だから、ほっといても漫画や本にはなじむだろうけど、側転とかあやとりとかそういうことはやらんだろうから、やってくれる保育園がいいな、というくらいの思いで入れた。 ただ、早期教育をなぜイカンとしているのか、あまり考えたことはなかったのである。 当たり前だけど、文字や数字が読めれば、世界が広がる。 楽しんで覚えるなら、そういうものに出会ってもいいではないか、という当然の思いがある。 保育士の話を断片的に聞いていたときは、この園では﹁そ
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歴史とは論理である 歴史は中学生までは﹁得意﹂で﹁好き﹂なものであり、そういう意識でずっときていたけど、高校・大学・社会人になってロクに知識の更新をしなければ、﹁得意﹂で﹁好き﹂なものではなくなる。まあ、﹁えーっと南北朝時代って鎌倉時代の前だっけ? 後だっけ?﹂とか言っているつれあいほどではないけど、﹁歴史オタク﹂とよばれている人のフリークぶりにはもう足元にも及ばない。はい。 でも、別に細かい歴史知識を詰め込みたいわけじゃないんだよな。 いや、そりゃ、﹁七本槍ってもともと秀吉が家臣を宣伝するために作ったカテゴライズなんだぜ﹂︵cげんしけん︶とか言ったら﹁へえ! 面白いねぇ!﹂とか思われるし、合コンではモテるし、得意先にはウケて100億円の商談もまとまるし、いいことづくめかもしれないんだけど、つまりまあ﹁神は細部に宿る﹂的なアレかもしれないんだけど、細部に宿りすぎて神だらけのような気がしない
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ものすごく高い能力を持ち、しかし*1、﹁ブス﹂であるという家政婦・小田切里が主人公である。里が依頼を受けた家々で起きる出来事ごとを描いた短編集になっている。﹃放浪の家政婦さん﹄がシリーズの最初で、﹃ピリ辛の家政婦さん﹄﹃誰そ彼の家政婦さん﹄と続いている。 最初は﹁家政婦風情﹂と軽侮する各家の人々が、その能力の高さに舌を巻き、屈服に近いような完璧さで屈服させられる展開が、だいたい仕込まれている。そしてそのたびにぼくなどは胸がすくような思いになる。ぼくは、こういう﹁準備運動がてら遊んでやるか﹂みたいな﹁惨敗フラグ﹂*2を立てて、そのヒールがモノの見事に沈没していくのを見るのが好きなんだけど、そこに﹁専門知識っぽいスパイス﹂が介在していることが不可欠。もっともらしいから。つまり、専門外の人間としては煙に巻かれているんだけども、その能力の高さについて根拠だった説明をされているようだから。本﹃家政婦
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うちの娘は5歳になる。この年齢は、なんと、あずまきよひこ﹃よつばと!﹄の主人公・小岩井よつばと同じだ。よつばは、ひらがなとカタカナが読めるようであるが、うちの娘もどうにか仮名は読めるようになった。だから、ふりがながふってある﹃よつばと!﹄は読めてしまうのである。 よつばと!(11) (電撃コミックス) 作者:あずま きよひこKADOKAWAAmazon そして、ハマった。 いや、こんなにハマるものかというくらいハマっている。 マンガの早期英才教育……などというわけではないが、ためしに与えてみたら、面白いくらいに夢中になっている。娘がいれこんでいるのは﹃ドラえもん﹄﹃モジャ公﹄︵以上、藤子・F・不二雄︶、そしてこの﹃よつばと!﹄である。保育園から帰ってくるなり、リュックサックを投げ捨てて、この3冊のどれかを熱心に読んでいる。﹃じょしらく﹄とか﹃演劇部5分前﹄みたいなマンガもぼくがポイと床にお
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帰省中に娘が寝た後、つれあいといっしょに映画﹁おおかみこどもの雨と雪﹂を観に行った。人間であり狼である狼男と結婚した、大学生・花︵ハナ︶が狼男の子どもである雪︵ユキ︶と雨︵アメ︶を生み育てる物語である。 以下はネタバレをする。結末がわかってもいいという人だけ読んでほしい。 ハナの視点で観る つれあいもぼくも、この映画をハナの視点で観た。 子どもたちが生まれるとほどなく狼男は事故で死んでしまい、ハナはシングルマザーとして苦労しながら2人の子どもたちを育てる。﹁おおかみこども﹂であることを人々に気取られないようにするので、母子はほとんど社会と隔絶して生きねばならない。医療も社会支援も一切得られない都会のアパートで生活し、ビクビクしながら時たま外を散歩するというほどである。 ぼくらは小さな子どもを持つ親として、働き手である夫を失い、自身は幼子を抱えて働きにも出られない、まさにハナの子育ての苦労に
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28歳とは思えない。 いや、タイトルから想像される﹁おばちゃん﹂=オバタリアン︵いわゆる﹁女らしさ﹂を放棄している、度し難い図々しさをもっているなど︶という意味ではない。地元の銀行に勤める28歳の独身女性主人公・里谷淳子の家族観と人生観があまりにオトナなのだ。その意味で里谷はおばちゃんである。そしてそれは、なんら不快なことではなく、40をこえた子持ちのぼくが、家族というものを考えるさいに、共感や教えられるものをあまりに数多く持っている。この作品は読んでいて濃厚で楽しい。 里谷の親は、地元の商店街で落ちぶれつつある定食屋をやっており、里谷は親元︵実家︶に住み、そこから出勤している。 といって、いわゆる﹁寄生﹂しているのではなく、逆に家計を支え、休みの日は定食屋の仕事を手伝い、家事をこなし、客のこなくなった実家の店の運転資金さえ出そうかとしているほどである。 母の考えはこうだ 結婚までは実家で
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﹁ボランティア﹂という名の強制 加納朋子の﹃七人の敵がいる﹄は、出版社でバリバリ仕事をこなすが、キツいモノ言いしかできない子育て中の母親が、PTA、自治会、学童、少年スポーツといった﹁ボランティア﹂の役員に引きずり込まれていく様子をコミカルに描いた小説である。 冒頭で小学校に入学し、さいしょにPTAの係など断じて引き受けられないと主人公・陽子が宣戦布告するシーンがある。 ﹁そうは言っても﹂別な保護者が発言した。﹁現実に一児童につき役員二度という決まりがあるわけじゃないですか。みんながあなたのようなことを言い出したら、PTAなんて成り立たないじゃないですか﹂ ﹁成り立つ必要があるんですか?﹂ごく冷ややかに陽子は言った。﹁見たところ、いらない仕事もずいぶんあるみたいですけど? 整美委員の花壇の世話なんて、なんで保護者がこんなことする必要があるんです? 成人委員の保護者向けレクリエーションだって
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※ネタバレがありますので注意してください。 2011年12月5日付の﹁民医連新聞﹂のコーナー﹁この一冊を読んでみた﹂で宇仁田ゆみ﹃うさぎドロップ﹄︵祥伝社︶を紹介した。 ﹃うさぎドロップ﹄は、祖父の葬儀にいった30の独身男・ダイキチが、祖父の子であるというりんを引き取って育てる話である。6歳で引き取られたりんが高校生になってからのいわば﹁第二部﹂的な話が、5巻からはじまり、9巻で完結する。 ﹁育ての親と結婚する﹂という結論への嫌悪 ﹃うさぎドロップ﹄の結末が気持ち悪いというのがつれあいの感想である。つれあいは、このマンガについて常々この種の結論が出されることを﹁最悪﹂と評していた。なぜなら、りんが父親役であるダイキチのことを好きになってしまい、ダイキチも結局その気持ちを受け入れて結婚を約束してしまうからだ。 つれあいとの会話。 ﹁りんは、一度家族をすべて失い、その後ダイキチに引き取られなが
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﹁ちいさいなかま﹂の﹁子育て日記﹂に書きました 保育雑誌﹁ちいさいなかま﹂の﹁子育て日記﹂という3ページほどのリレー連載があるのですが、2011年12月号のそのコーナーに﹁紙屋高雪﹂名義で一文を寄せさせてもらいました。 ぼくとつれあいが交際し、次に就職し、次に結婚、次に同居、そして妊娠、出産するまでを描き、さらにそこから子育てをしていくうえで、育休の利用、職場の理解、忙しい時の助け、保育園という援助……など無数の﹁手助け﹂がなければ、おそらく何かをあきらめなければならなかった、ということを書いています。 実は、今号の﹁ちいさいなかま﹂は﹁悩み多き子育てと仕事﹂という特集になっており、他の人の寄稿文や論文もこのテーマで書かれています。7月にぼくの原稿を書いて12月に掲載というのはずいぶん遅いなと思っていたのですが、特集にタイミングをあわせたのでしょう。 さっき、ぼくの書いた文章の中身を大ざっ
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この本ではじめて、行政書士と弁護士の間に﹁縄張り争い﹂があるということを知った。 この本の魅力はどこにあるのか この本は実話系の漫画だ。行政書士である主人公︵シバタ・タカヒロ︶が大阪弁護士会から﹁非弁活動﹂︵弁護士でもないのに弁護士にあたる活動をしたという弁護士法違反の行為︶をしたとして告発されたのである。シバタはむろんそんな告発を批判する。自分のやったことは行政書士として当たり前のことで、非弁活動でも何でもない、というわけである。本書はシバタの妻︵シバキヨ︶が描いたものだ。 本書について斬込隊長こと山本一郎が書評を書いているが、 たまに、結構本腰で歯車に立ち向かう人たちがおるわけですけれども、ああいうプレッシャーへの対処って完全にダークサイドに落ちるか無条件降伏するかというような極論に走りがちで、陰謀論者になったりアウトサイダー同士でつるんで傷を舐めあって体制批判に精を出したりするのが通
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民医連新聞の2011年7月4日付に﹁マンガ評論家紙屋さんの﹃この一冊を読んでみた﹄﹂第4回に浦沢直樹︵作画︶・勝鹿北星︵原案︶﹃MASTERキートン﹄の書評を書きました。 このコーナーは、﹁新旧﹂の漫画を紹介していいことになっているので、﹃MASTERキートン﹄を書庫から引っ張り出して久々に読んでいるうちに書評が書きたくなった、というのが最初の動機です。ところが書いてからいろいろ調べてみると、長らく手に入らない状態だったのに8月に完全版が出るということになっていて、Twitterでも入稿したちょうどその日にその話題がつぶやかれていてちょっとびっくりしました。 読み返してみて、改めていい作品だと思います。一話完結方式なので、本来短い分量で﹁人生﹂を語らせたりすると説教臭くなるものですが、そうならないところがすごい。 学生運動にハマっていた主人公が、学生結婚をしたのち、男の子を男手一人で育てる
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