![③『ヒットの崩壊』の著者=柴那典、その可能性の中心を探る](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/9005cd0ff77dd3d46ef60b208c747c75864a67c2/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcdn.amebaowndme.com%2Fmadrid-prd%2Fmadrid-web%2Fimages%2Fsites%2F50135%2F97852c3220fa525246285881c9141641_13bc8e78ee1d78d5bb37549e299c8da3.jpg)
書物というものは何度も読み直されなければならない。そうした視点の下、音楽ジャーナリスト柴那典が書き下ろした『ヒットの崩壊』という書物を、著者自身の言葉を借りながらまた別な角度から見てみよう、そんな目的意識から出発した本企画、パート2である。 パート1の内容をごく簡単にレジュメするなら、それは主に彼の著作『ヒットの崩壊』がそのタイトルとは裏腹に、「ヒットの崩壊、その後」に起った、さまざまな変化に対する希望的観測を軸に書かれたことを示そうとするもの。パート1を未読の方はまず以下のリンクから読み進めてほしい。 ①著者、柴那典に訊く。『ヒットの崩壊』はきちんと読まれたのか? つまり、パート1における対話は、「『ヒットの崩壊』の読み方」を巡るものだ。そして、このパート2から語られているのは、主に「柴那典の読み方」だと思っていただきたい。 まず確認しておこう。誰もが「柴那典」という書き手に対して認める
2016年に出版された音楽関係の書物の中でももっとも注目された作品のひとつとして、音楽ジャーナリストの柴那典が書き下ろした『ヒットの崩壊』の名前を挙げることに異を唱える者はいないだろう。 乱暴に言うなら、彼の著作『ヒットの崩壊』は、主にゼロ年代から2010年代のポップ産業における、ヒットを生み出す構造の変化にフォーカスを当てた書物であり、そうした構造変化と共に、ポップ音楽とその受け手であるリスナーの関係性そのものにいくつもの変容が生まれたことを示すものでもある。 と同時に、『ヒットの崩壊』というタイトルとは裏腹に、多くの市井の人々が自らが暮らす時代を考える上での「対話のプラットフォーム」として機能するだろう、新たな「ヒットの誕生」を祝福する書物でもある。つまるところ、この『ヒットの崩壊』という作品は今に対する厳しい批評である以上に、これからの未来に対する可能性とヒントをちりばめた「希望の書
文句なく苗場史上最高動員をGreen Stageに飲み込んでのレディオヘッド、初のフジロック・ヘッドライナーでのパフォーマンスは、ある意味、それだけのオーディエンスが持ち込んだ空前の期待値をも悠々と飲み込んで余りあるものだった。現代ロックにおいて発明途上にある数々の最新型フォーミュラを矢継ぎ早に採用したその手さばきは、このバンドをしていまもなお新鮮で次世代を担う存在にさせていることを十二分に証明していた。圧巻、と呼ぶには、もはや余裕すら感じさせるそのたたずまいは、なにかもうはあーとため息のひとつでもしたくなるほどだった。 初日のザ・ストーン・ローゼズがすべてのオーディエンスを「仲間」にしようと試みたとするなら、この夜のレディオヘッドはいつものように「個」にした、といえるだろう。最初期のころは、アメリカ人にもわかるほどの(?)ドラマチックなロック・チューンを鳴らしていたレディオヘッドが、その
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