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百人一首第94番目の歌の作者は参議雅経さんぎまさつね(藤原雅経)です。 後鳥羽上皇に重用され、藤原定家らとともに「新古今和歌集」の選者の一人でもありました。 今回は参議雅経について紹介します。 参議雅経とは 生年1170年、没年1221年。 官位は従三位、参議でした。 藤原雅経の父、藤原頼経が源義経と親しい関係にあり、源義経が追われた後は藤原頼経、雅経親子は鎌倉に護送されることになりました。 しかし雅経は頼朝からその和歌や蹴鞠の才能を認められ、源実朝とも親交を結ぶなどしたため、次第に頼朝からも重んじられるようになりました。 この藤原雅経は、後鳥羽上皇からも重用されます。 院における歌壇で活躍し、また蹴鞠の実力も高く評価されました。 後鳥羽上皇からは「蹴鞠長者」の称号を与えられています。 このことから、藤原雅経は飛鳥井流蹴鞠の祖とされています。 時代背景 サッカー選手の信仰を集める京都白峯神
スカパープ公園前のセブンイレブン 2010年9月上旬。 タイの暑さの盛りは4月から5月。 ソンクラン祭り(水掛け祭り)が終わると、ゆっくりと気温が下がり始める。 9月は、午前中は晴れ、午後は雲が増えてきて、夕方から夜に大雨という日が続くようになっていた。 この頃、数日風邪気味だったようだ。 日記には「薄い水割りを飲んで寝る」などと可愛らしいことを書いている。 お酒を飲まず、娘とすごろくをしてから早めに寝ている夜もあった。 状況はわかってきていたが、タイの建物の中のエアコンは身体に負担だった。 冷気の吹き出し口を調整してもらった。 冷たい空気が直接身体に当たっていたのだ。 気を利かせて、僕の席を狙って涼しくしてくれていたのかもしれない。 が、さすがに寒くなり、調整して方向を変えてもらった。 それで冷風は当たらなくなったが、代わりに水滴が席の近くに落ちるようになった。 それもある意味、サービス
百人一首第93番目の歌の作者は鎌倉右大臣かまくらのうだいじんです。 鎌倉幕府の源頼朝、源頼家に続く第三代将軍源実朝さねとも。 彼は藤原定家を師として和歌を学ぶ文人でもありました。 今回は鎌倉右大臣について紹介します。 鎌倉右大臣とは 生年1192年、没年1219年。 最後は兄源頼家の子公暁によって刺殺されました。 鶴岡八幡宮参拝の帰路のこと。 まだ28歳でした。 鎌倉幕府はこの後、将軍を京都から迎え、政治体制は執権家の北条氏を中心としたものになっていきます。 源氏の血筋に連なる者が将軍となるのは、このずっと後、室町幕府と呼ばれる政治体制を確立した足利尊氏のときのこと。 源実朝の刺殺事件は、鎌倉幕府の体制が決まっていくきっかけになっているようです。 百人一首に選ばれている歌は、実朝が実際に見た光景を題材にしているもの。 鎌倉の浜辺に立ち、漁師の漕ぐ小舟を見ています。 そして「世の中が常に変わ
昭和58年、18歳の春から始まった学生時代は、ビールと過ごした時代でもあった。 もともと大学入学前からビールは飲んでいたが、それは大学入学後に比べると穏やかなもの。 18歳からのビールとの付き合いは、もっと深く、激しいものであった。 新入生歓迎会で、生まれて初めてビール瓶1本そのままを手にしての一気飲みを経験した。 一気飲みはその後も、様々な場面で挑んだが、勝敗はやや勝ち越しくらいで、途中放棄ということもよくあった。 友人の中には負け続け、その腹いせか、逆噴火という対抗技を使うものもいた。 飲み会が増えると、周囲にいるものも慣れてきて、逆噴火の気配を感じると退避できるようになる。 もちろん、逃げ遅れると、すこし大変な目に遭う。 それもまた、学生時代の飲み方の彩りでもあった。 自室や友人の下宿部屋で飲むことも多かった。 そのときに、必ず用意したのがサッポロビールジャイアンツ。 ほぼ2リットル
富士山が大きく見える こんにちは、暖淡堂です。 2024年3月に家族で伊豆下田に行ったときの写真を見ていて、まだ紹介していなかったものがあったので記事にしておきます。 道の駅「伊豆ゲートウエイ函南」の駐車場からみた富士山です。 www.izugateway.com 車を降りた時にはわからなかったのですが、なんとなく視野に入っていたものが富士山だったことに気づいた時には驚きました。 伊豆半島から富士山って、結構近かったようです。 自分が思っているよりも大きかったり、小さかったりすると、気づきにくいようです。 見えているはずのものが、この思い込みで見えていないこともあるかもしれませんね。 そんなことを思いながら、帰路をたどりました。 帰りも、我が家族の道のりはのんびりとしたものでした。 dantandho ランキング参加中雑談・日記を書きたい人のグループ にほんブログ村
ルー=ガルー 徳間書店版 こんにちは、暖淡堂です。 まだ極私的京極祭継続中です。 その他も読んでいるのですが… で、今回は「ルー=ガルー 忌避すべき狼」です。 ついに、手を出してしまったか、という感じではあります。 「鵼の碑」を読み始めるのを、少しずつ、わざと遅らせているような感じでもあります。 で、この「ルー=ガルー」、面白いです。 後半はほぼ一気読みですね。 時代設定は2040年くらいかと思われます。 その近未来の様子を2001年頃に予想して描いているわけですね。 2001年から20年以上経過した現在、この作品を読むと、とても面白いものがあります。 詳細はぜひ本作品を読んでいただきたいのですが、2001年頃には、物事はその方向に進んでいくものと考えられていたというのがわかります。 通信や、移動手段や、データ管理など。 社会や、人々の行動や、行動規範も変わっています。 個性的な女子が多数
忠義に篤い若い小姓が切腹を命じられた。将軍家の朝餉の配膳中の失態が理由との事だった。 しかし、それは自らの失態の糊塗を図る上役と、家の断絶を避けようとする裕福な寄合によって着せられた濡れ衣だった。 鬼役の矢背蔵人介は、小姓に着せられた濡れ衣の罪をはらそうとするが、叶わず、蔵人介自身が切腹の介錯を依頼されてしまう。 小姓の才覚と忠義の篤さを認めていた将軍家慶は、自らの脇差を切腹に用いるようにと渡す。 小姓は見事に名誉の切腹を果たす。 やがて、矢背蔵人介は、小姓の上役と、寄合による企みを暴くために剣を振るう。 * 坂岡真さんの悪人の描き方が巧みです。 今回は組織的な不祥事と、それを告発しようとする内部の者との対立や、濡れ衣を着せられて責任を取らされるという設定になっています。 なんだか、お役所仕事の不祥事を告発し、自殺した人を思い浮かべてしまいますが… 「コロナ禍」の期間中に行われたたくさんの
この山の方角から雨雲が近づいてくる 2010年9月上旬。 1月に赴任して、3月末に家族と合流、8月には夏休みで一時帰国をした。 で、9月上旬。 タイは時々大雨が降った。 気温が高いので、少々の雨に濡れても平気だと思っていたが、それが油断に繋がった。 重い風邪を引いてしまったのだ。 その理由は、おそらく冷房がきついこと。 外は暑いが、建物や車の中の冷房はかなり強い。 熱が出て、身体がダルかった。 それでも打ち合わせの予定があったので、オフィスには出ていた。 あまり作業はせず、なんとなくぼーっとした状態で一日を過ごした。 帰宅すると、妻も風邪をひいていたようだった。 つらいので、病院に行ってみるとのこと。 病院は、サミティーベイ・シラチャ。 出社後、ドライバーさんには一旦戻ってもらって、妻を病院まで連れて行ってもらった。 その後、退社時間までにオフィスに戻って、僕をピックアップしてもらった。
定点 柔らかな襞状のものに満たされた暗い部屋で 少年は蹲り 昨日見たはずの夢を 思い出そうとしている 夢は 時々現れては また 遠く離れてしまう 昨日見た夢と 同じだ そう少年が思った瞬間に 夢は硬くなり “ここ”が現れてしまう ああ、雪はまだ積もっているか 少年は温かな襞に包まれて 暗い部屋の外を思う その雪が 自らの夢の 現実化であるかのように 少年は 雪を 吹雪を 大量の雪に覆われた 白い大地を 激しく思った そして 雪の冷たい層の中に 滑り落ちることを ふと “ここ”が揺れる その時が 近い そう少年は感じた 再び 温かな襞に包まれ 夢へと滑り込み… ***** Google Geminiによる解説 概要 この詩は、暗い部屋で柔らかい襞状のものに包まれながら、昨日見た夢を思い出そうとする少年の姿を描いたものです。夢は少年の手の届かないところへ逃げ去り、少年は雪に覆われた白い大地を夢
www.thaich.net 2010年8月下旬の続き。 タイ駐在後、初めての北海道帰省を終え、妻と娘もシラチャに戻ってきていた。 タイのメンバーはずっと普段通りに勤務していた。 僕がいなくても、全然問題ないということで、安心もし、ちょっと寂しくも思ったが。 ドイツでは長期休暇を取れない管理職は、能力が不足していると評価されるのだという話を読んだことがある。 自分が不在の間、仕事がきちんと回るように手配できてこその管理職という内容だった。 まあ、それでちょっと安心したわけで。 ただ、そもそもは、僕自身がまだ現地の組織にきちんと組み込まれていなかったということもあったかと。 そんな個人的な思いとは別に、組織は動き、季節は進む訳で。 帰省から戻った僕を、現地の人たちが、とある農園に連れて行ってくれた。 そこで「マジック」と呼ばれている果物が味わえるとのことだった。 いつものように忙しくない僕は
こんにちは、暖淡堂です。 出向準備中で、思いがけず忙しい日々を送っています。 去年や一昨年、一昨々年はこの時期、のんびりとしていました。 そんな頃がとても懐かしいです。 出向後、まず法定の研修を受けることになっています。 その研修中にいくつか試験があって、それに合格することが出向の条件。 もし試験に合格できなければ、出向解除となります。 僕自身、それで何かが変わるわけではないのですが、不合格になるというのがちょっと悔しいので勉強しています。 定年まで数ヶ月。 その時期での出向で、定年のタイミングで転籍するか、会社に戻ってくるのか、あるいはシニアの身分での出向とするか。 そのあたりも考えておかないといけません。 そんなこんなで、これからの数ヶ月、暮らしが大きく変わっていきます。 定年後、さらには老後のことも少しずつ決めていかないといけません。 いよいよその時期が来たか。 そんなふうに思ってい
こんにちは、暖淡堂です。 ゴールデンウィークが終わり、早速夏休みまでのカウントダウンを始めた人も多いかと🤭 僕は出向準備中で、気持ち的に落ち着かなかったのですが、それでもお休みの日数は多めに取りました。 今年のゴールデンウィークの前半にやったのが、「臨済録<現代語訳>」のKindle出版。 原稿はほぼできていたので、体裁を整えて、表紙を作って、データをアップロードして、すぐに作業は終わりました。 時間がかかったのがペーパーバック版の出版。 ページのマージンを調整して、改ページの位置を確認して。 表紙も作り直して。 ペーパーバック版は、本文データも表紙データも、どちらもPDFで作らないといけません。 で、Kindleのサーバーにアップロードして、出来上がりを確認して。 気がついたら数日経過していて。 出来上がったのが5月6日でした。 まあ、連休中に終わったからいいかなとも思っています。 無
百鬼夜行 陽 京極夏彦 こんにちは、暖淡堂です。 極私的「京極祭」、まだ続いています。 「京極祭」を始めたきっかけの「鵼の碑」、まだ読めていません。 この前の年末年始に読む予定だったのですが、このゴールデンウィークもまだ辿りつきませんでした。 京極夏彦さんの書籍で、自宅の書棚にはなく、主に図書館蔵書で読んでいるものが数冊あります。 その一冊が今回紹介する「百鬼夜行 陽(定本)」です。 「百鬼夜行 陰」の方はしっかりと自宅の書棚で存在感をアピールしているのですが。 これはなぜか書いそびれてしまいました。 いつか、神保町ででも見かけたら、老後の楽しみに購入しておこうと思います。 で、「百鬼夜行 陽」。 これは「鵼の碑」へのプロローグでもありました。 この連休に読んでみて、「鵼の碑」を手に取る前にこれを読んでおいてよかったと思います。 それと、最後に書き下ろしで加えられている作品「目競(めくらべ
まだまだ たった一度 負けたって 勝つことが なくなった訳じゃない いっそきれいに負けて 次を考えたらいい 次も勝てないかもしれないけど 闘ってみた回数は一度増える いっそポイント制にして 節目には自分に 何かおごってやったらいい ***** いくつになってもうまくいかないことが多いもので。 それでも諦めないことが大事だと、それもいくつになっても思ったりしています。 このまま、いつまでも諦めない生活を送るのでしょうか。 どこかで諦める日がくるのかな。 そんなことを考えたりする、休日の午後を過ごしています。 雪の処方箋 (暖淡堂書房) 作者:暖淡堂 Amazon 腐朽船群 (暖淡堂書房) 作者:暖淡堂 暖淡堂書房 Amazon dantandho にほんブログ村 ランキング参加中詩 ランキング参加中雑談・日記を書きたい人のグループ
2017年12月ミュンヘンのホテルから 2017年は、一人で海外をうろつくことが多かった。 どれも仕事の出張で出掛けていたが、好んで一人切りで歩き回っていた。 会社の現地拠点の人々と打ち合わせをしたり、特許関連の現地事務所を訪問したりした。 少しの英語と、わずかばかりの度胸と、抑えきれない好奇心で動いていた時期でもあった。 出かけると、ホテルで一人きり、静かに過ごす時間がとても好きだった。 街中で買ってきた現地のビールとパンやスナックを友に、のんびりとしているのだ。 ヨーロッパでは、大概の街で、中華料理のテイクアウトができる。 日曜日でなければ、食事に困ることはほとんどない。 そして、現地語で話し続けるテレビを観るのも楽しみだった。 日本のアニメが、現地後に吹き替えされて放送されていた。 キャラクターの声が違うと、まったく別物に感じられるのが不思議だった。 この年、12月下旬にミュンヘンを
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