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買ってよかったもの
king-biscuit.hatenablog.com
まずはご報告から。 2020年6月末、勤め先の大学をいきなり「懲戒解雇」されて、あまりの理不尽に地位確認と損害賠償を求めて札幌地裁に民事訴訟を提起していた件、2年9ヶ月ほどの審理ののち、先日2月16日に判決が出ました。結果として「全面勝訴」と言っていい内容でした。本誌読者の集いでもお話させてもらったこともあり、ご心配おかけしていた向きもあったかと思いますが、一審地裁段階とはいえ、まずはたいへんありがたい判決だったことをご報告させていただきます。 www.youtube.com もともと、定員充足率を満たして補助金を獲得したいために、日本語能力の問題のある外国人留学生までも見境なく入れる全入方針の施策をとるようになったことで授業が成り立たなくなり、それを何とか是正しようと現場の教員有志らとあれこれ動いていた当時の学長を大学法人側が事実上解任に等しい形で追い出したついでに、その学長が任期最終日
宮台真司という社会学者がいる。東京都立大学の助教授で、いわゆるブルセラ現象など今のティーンエイジャーの生態を対象として「若者文化」を論じている。難しい専門用語を操ることばかりうまくなって社会的な発言のできなくなった昨今の社会学畑には珍しく、テレビや雑誌などマスコミの場にも積極的に出てきている。 その彼が、この夏『朝まで生テレビ』に出演した。「女子高生とニッポン」といったテーマで、スタジオには女子高校生とその親たちがギャラリーとして控え、パネラーにも彼の隣に飯島愛が座るというあざといセッティング。そのいかにもテレビ的な意図と仕掛けが丸見えの包囲網の中で彼は、これまで身をもって擁護してきているはずの女子高校生たちからブーイングの集中砲火を食らって立ち往生した。昔ながらの知識人と大衆の距離をくっきり見せられたようで、いろいろと考えさせられる光景ではあった。 だが、そのことについて彼は最近ある雑誌
*1 sports.nhk.or.jp sports.nhk.or.jp おい、マリオやドラえもんどころか、ポケモンもニンジャもアキラのバイクも出てこんかったじゃないか!――終わったばかりのオリンピックのまずは私的な印象です。 個々の競技や選手の手柄は全部措いておきます。開催する側の仕切りの悪さ、つまり「祭り」なり「興行」なりを取り仕切る勧進元としての器量のなさだけが強烈に印象づけられ、世間一般その他おおぜいの眼にもあらわになったあの開会式と閉会式。つまり、それら勧進元の意図が直接反映される部分と、興行の本体である各種種目や競技、それらに参加する個々の選手たちの見せてくれた上演・パフォーマンスの質との間の、いやはや、もうまるで別のシロモノ、異空間で行われたとしか思えないほどの絶望的な距離感こそが、今回の五輪のある本質だったとしか思えなかったのであります。 さすがに棚落ち著しい本邦報道界隈も
『フォーカス』が斃れた。 写真週刊誌の代名詞のようにまで言われ、「フォーカスされる」といったもの言いまで芸能界周辺を中心に一般に使われるようになった、言うまでもない新潮社の名物雑誌。それがとうとう「休刊」を宣言して撤退を決めた。創刊以来まる二十年にふた月ばかり欠ける二三八カ月、刊行された号数は都合千と一号。最盛期の部数は公称二百万部以上。一冊百五十円の六四ページグラビア、うちカラーが一六ページという体裁から始まった新企画の週刊誌としては、まず存分に戦い抜いた結果だと言っていいだろう。 新潮社取締役、松田宏署名での「休刊のお知らせ」は淡々と、しかし自分たちが何をしようとしてきたのかについて、最低限のことばにしようとした誠実なものだった。 「写真で時代を読む」をキャッチフレーズに掲げ、フォーカスは昭和56(1981)年10月にみなさまの前に登場いたしました。一枚の写真ですべてを語る、百聞は一見
*1 ● ニッポンのマンガ表現において、「少女マンガ」「少年マンガ」という分類が、事実上意味をなさなくなったのは、おおむね1980年前後のことでした。 具体的には、『タッチ』『みゆき』に代表されるあだち充の一連の作品あたりから顕著になり、高橋留美子『うる星やつら』に最終的に結晶していったような、当時の『少年サンデー』系「ラブコメ」が「少年マンガ」の内実を変えていってしまった。そのような「ラブコメ」の「少年マンガ」に対する浸食は、高度経済成長期の「豊かさ」の中で、ニッポン人の「リアル」がどのように変貌していったのか、について考える上で、おそらく想像以上に大きなできごとになっているはずなのです。 マンガというジャンルの中で、それまではっきりとあったはずの「少年マンガ」「少女マンガ」という棲み分けがなしくずしになくなってゆき、それはマンガ表現の水準での変貌であると同時に、それらの読者や、読者をと
「木綿のハンカチーフ」にしても「ウエディング・ベル」にしても、未だそこまで自分の内面、やくたいもないこのココロの銀幕に鮮烈な印象を残しているらしいのは、単にその「歌詞」、言葉としてそこで歌われている言葉の意味内容においてだけでなく、それが具体的な「声」として、肉声として生身のたたずまいを否応なく伴って現前していたからだろう。*1 肉声を伴った言葉は、文字や活字と異なり、その向こう側に生身のたたずまいを察知させざるを得ない。それは聴き手であるこちら側が生きている現在、〈いま・ここ〉に共にピンポイントで現前し、こちらの生身である部分に感応し、その裡に何らかの情動、ココロの動きといった不定形であやしい領域を不断に生み出してゆく。そして、その〈いま・ここ〉であること、時間と空間が限定された「現在」の上演であることを引き受けて初めて、「うた」もその場にゆくりなく宿ってゆく。前回ほどいてみた「カバー」
*1 *2 前号、何やら奥歯にもののはさまったようなもの言いでしか語れなかった「内部的には醜聞、いや、外から見てもまずは格好のスキャンダル、ないしはゴシップ系のネタとしてまずは取り扱われるような案件」ですが、もう勿体つけなくてもいい状況になったので、お話ししましょう。 要は、自分の勤め先であった札幌国際大学という北海道の小さな大学が、昨今どこでも悩まされている定員割れとそれに伴う経営状態の悪化に苦しむあまり、外国人留学生(と共に実はスポーツ特待生も、なのですがそれはとりあえず別途)を見境なく入れ始めたものの、その入試から在籍管理からいろいろ無茶で外道なことをやらかしていた、それを内部で自浄、自主的に改善しようとしていたもののどうにもならなくなって外部の関係諸機関、文科省や出入国在籍管理庁その他、報道機関などにも内情を暴露し、世間の眼に公正に判断してもらう段になってしまった、というのが前号あ
*1 *2 *3 ・地方競馬だけで事故が続いてしまっていることと、その理由についてお考えをいただければと思います。地方競馬全国協会の方は、「『河川敷のような場所』と『改善できない経営状況』が理由では」ということをおっしゃっていましたが… まず、確認しておかねばならないのは、馬の仕事をしている限り、放馬は必ず起こり得る「事故」、それも珍しくない事故だということです。事故ですから必ず起こる。だから、起こった後の対処も含めて、馬と仕事をしている人たちはそれらを見越して日々仕事をしています。それは地方でも中央でも、競馬場でなく牧場でもみんな同じことです。 そう。馬の仕事の現場では、放馬は珍しくない事故なんです。 最近「放馬」が問題になるのは、まず、昔と違って、競馬場も厩舎も都市的な環境の真っ只中に存在するようになったことで、放馬した馬がうっかり世間の日常に関わってしまうから、という面があります。
――ひとりひとりの個の生は、こういう私化された小さな小宇宙の複合体であり、その複合体を鞏固な統一物と見せかけているものがもろもろの文化的観念的構築なのである。そして思想とは文学とはつねに、個的な日常の規定から、そのうえにそびえ立つ文化的観念的構築を批判するいとなみである。*1 ――もちろん、思想的抽象の一定レベルでは、このような〈地方〉をサイクルとする一生も、〈都〉で過される現代風な勤め人の一生も、その包含する意味は全く等価でしかない。だが、少なくともここには視圏にかかわる想像力の問題が生じるはずである。陸を走る動物と海にひそむ生きものとが、世界をおなじふうに見ているはずがないように、都で一生を過す人間と、田舎で一生を終える人間に、世界がおなじものに見えているはずはない。 *2 ――闇から闇に流れる流星のような人生もあれば、いつ生まれ死んだともわからぬ苔のような人生もある。 *3 ● “最
実は昨年来、職場でちょっと大きなトラブルが生じていて、その対応にあれこれ奔走していたのですが、今年に入ってから3月の年度末にかけてその案件がいよいよ煮詰まってきて、内部ではどうにも始末がつけられなくなり、外部の関係諸方面に訴えて事態の打開を模索しなければならないことに。同時に、報道関係にも事情を説明して、世間の眼から見てどう判断していただけるかも含めて動かざるを得ないことにもなりました。 まあ、内部的には醜聞、いや、外から見てもまずは格好のスキャンダル、ないしはゴシップ系のネタとしてまずは取り扱われるような案件ではあったのですが、ことの詳細や顛末などはこの場ではひとまず措いておくとして、この間改めて思い知らされたのは、いまどきの本邦の組織や集団というものの自浄のできなさ、現場で起っている問題を穏当に把握して、それを自らの手で解決してゆく自前の動きが、見事なまでにできなくなっていることでした
*1 インターネット上の巨大匿名掲示板「2ちゃんねる」。一日三千万ヒットを誇る事実上日本最大、世界でも例のない一大メガサイトになっているのであります。 世間では、西鉄バスジャック事件の犯人が「ネオむぎ茶」の名前で犯行を事前に予告していたとか、あるいはまた、自宅の風呂場で拾ってきた猫をなぶり殺しにしてゆく虐待画像をおもしろ半分にさらしていた「ディルレバンガー」と名乗る男が、それがきっかけで逮捕されたとか、何かそういうろくでもない事件とからめて取り沙汰されることが多いせいか、何やら悪の巣窟、おどろおどろしいアンダーグラウンドなサブカルチュア、うっかり足踏み入れるとこわい場所、と、とらえられることが多いかも知れません。 なるほど、書き込まれる情報は玉石混淆、嘘も真も全く等価で、時にはエロもグロもナンセンスも、とにかく何でもありな外道ぶり。テキスト(文章)のみならず、音声や画像、動画だって落ちてい
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