サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
デスク環境を整える
misaki-taku.hatenablog.com
雑誌SWITCH6月号の特集が写真で、そのタイトルが「LAST WALTZ 写真の夜明け、写真の果て DAIDO MORIYAMA」。昨日購入して、まだ記事の詳細は読んでないけれど、最近になりどこか体調を崩されたのかな、都内から逗子に戻った写真家森山大道氏が撮り下ろした最新作「逗子」。逗子は私もよくカメラをぶらさげてぶらぶらするわけですが、踏切の遮断器や逗子マリーナあたりの?ヤシの木や髑髏の絵柄が刺繍されたジャンパーのアップなどを強めのコントラストで仕上げた「森山流」の写真に、相変わらずわたしは感銘を受けてしまい、なんで同じ町を歩いても、出来上がる写真に大きな差が生まれるのか・・・いや、だからこそ世界の森山なんだろうけれど、凄いもんだ・・・と。雑誌タイトルの「LAST WALTZ」は意味深です。ロックバンドThe Bandの解散コンサートのLAST WALTZを連想せずにはいられないわけで
1970年代前半の話です。中学の音楽の授業で、音楽の先生の・・・いま思い出したのですが「あだな」が渋ちん・・・渋谷か渋井か渋川(敬称略)あるいはそれ以外の渋なんとかさんだったのかまで思い出せませんが・・・その渋ちんが、今日は音楽を鑑賞しましょう、といって音楽室にあったステレオ装置でLPレコードを聴かせてくれました。(ところでいまの音楽の授業ではどういうやり方で曲を聴くんだろう?) 音楽の授業でクラシック音楽や合唱曲や、もしかすると伝統的な音楽や、世界のいろんな場所の音楽をみなで聴くことは、いかにも授業の一環という感じがするのですが、このときに渋ちんが聞かせてくれたのは、当時はまさに洋楽のヒットチャートの常連だったサイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」でした。アート・ガーファンクルのきれいな高い声にすっかり魅了されたものですよ。 渋ちんはテストでもサービス問題があって、いまあなたが一番
昨日の午後から降り出した雨は、予報より上がるのが少し遅れたが、午後3時になり上がった。今日の午前は早く起きたけれど、その後も眠気が消えず、うつらうつらと寝ては夢を見たり、また起きてぼーっとしていた。そのうちに時間が過ぎて行った。 雨が上がったから、自家用車を運転して二宮町のパン屋+カフェで開催中の某写真家の展示を観に行き、パンをたくさん買って、その帰り道に運転をしながら空を見上げると、雲がきれはじめ、もう日暮れ間近とは言え青空が見えていた。そんな空の様子を見たせいもあるのだろう、ちょっと寄り道をしてみようと大磯町の漁港の駐車場に車を停め、夏には大磯海水浴場になる海岸にある、津波避難のためと思われる三階建てくらいのタワーに上がってみた。南岸低気圧が通り過ぎている海には大きな波が次々と寄せていて、黒いウェットスーツを着たサーファーが波に乗ることを繰り返していた。そして写真のように砕けた波しぶき
オイルを回転軸付近に注入したレコードプレイヤーのトーンアームは、少しスムーズに回転できるようになってきて、それでもLPレコードの片面全部を一度も針が飛ばないままに再生できるところまでは治らないけれど、頻度として六曲中の四曲くらいは飛ばないで再生できるようになってきた。これ以上よくなるものなのか、一過性の回復で、むしろこのあとガクッと壊れてしまうのかはわからない。 選んで引っ張り出したわけではなくて、たまたま指に当たったからという理由で、レコードを押し込んでいる棚から引っ張り出したら、それはポリス(スティングのいたイギリスのロックバンド)のアルバムで、ロクサーヌやソー・ロンリーが入っていた。トーンアームの回転が渋くなっていて、ぎりぎり針が飛ぶか飛ばないは、レコードの溝の深さに起因していると思うものの、ポリスのアルバムだとそれまで回していたトム・ウェイツのアルバムと比べて、ほとんど針が飛ばない
人馬一体って言葉がありますね。馬じゃないけど、むかし、二十代三十代の頃に、250cc排気量のオートバイに乗って遊んでいました。毎日乗っているときは自然と身体とオートバイが人馬一体というのか人単車一体な感じになって運転しているけれど、例えば風邪を引いたり仕事が忙しかったりで、一週間乗らずにいると、運転をはじめてすぐは、その「一体」が失われてしまい、ちょっとぎくしゃくした感じになったものです。自分が操縦し、単車がその通りに応じ、そこにタイムラグがない動きになるまで少し人馬一体調整時間が必要だったような感じです。その間はなんか運転が上滑りで、落ち着きがなく、それでもオートバイは走って行く。こちらが運転しているより、乗せられて運ばれて行くような気がしました。 上記のことをなんで突然書いたかというと、この師走の日々の過ごし方が、そのような感じで上滑りして落ち着きがなく、時間だけがどんどん過ぎて、あっ
写真は15日の金曜日、日比谷通りに面した第一生命ビルのビルの前だったと思います。 と、二日前の写真を載せましたが、今日、12/17日曜日は大磯(神奈川県中郡大磯町、明治の政治家たちの別荘がたくさんあった相模湾に面した町で、日本で最初に海水浴場が開かれた砂浜があります。)の港で開催される大磯市に行きました。毎月第三日曜日に手造りの小物や食べ物の屋台や、キッチンカーが並ぶイベントです。 クリスマスの日に予定されている忘年会で、なんと懐かしい!プレゼント交換会があるというのです。若い方は二十代前半かな、一番年かさなのは私だろう(六十代)、だいたい10人くらいの忘年会だと思います。プレゼントの代金は1500円まで。出席者はすなわち老若男女。こんなことをするのは、高校生のとき以来じゃないか・・・考えたのは老若男女に等しく喜ばれるというものを探すと冗長性が増して(笑)面白くないじゃないか・・・というこ
真夏の気温が例えば36℃37℃になると、人という動物として生命の危険を感じてしまうから、それはもう大変に辛くて、熱中症への対策などもあれこれ話されるが、12月に20℃を越えるなんて、そんな真夏を上回る異常気象で、その理由が人の暮らしに根ざす地球温暖化にあるのだとすると、真夏以上に今こそそれに怖れを感じて、やるべきことは何かを考えなくてはいけないのだろう、けれど、暮らしにおいては12月の20℃はちょっと行き過ぎた小春日和という感じに過ぎず、羽織って来たコートを脱いで手に持つのが面倒なくらいで、颯爽と町を歩いて師走の買い物をする分には楽しいウイークエンドに過ぎない。そんな土曜日ですね、今日は。 昨日の金曜に12月に入ってから七回目かな六回目かな、忘年会が珍しく都心の有楽町であり、散会後に日比谷通りをカメラをぶらさげて歩いてみたら、写真の通り皇居日比谷濠の石垣がライトアップされていて、ちょっと幻
私は理科系出身なんです。主に理科系の方が進めるいろんな分野の技術の進化によって、人の暮らしが大きく変わって来た。身の回りの道具に置き換えると直近ではスマホやPCがその代表例で、その革新がもたらした便利で安全で効率的でスマートな生活。でもそれ本当か? そして年初にはそんな単語は知らなかった「生成AI」がいまやトレンドワードで、その使い方に規制を書けないと職業が脅かされたり消滅したりしかねない・・・と声がたくさんの職業から挙がっているらしい。 一つ一つの新しい機械やアプリは、使いやすくて便利で人を幸せに導く最新の機器だとうたわれ、そういうものに囲まれていく。だけど人という動物は、そんな暮らしを前提にしていまの姿があるわけではない、あるいは進化論によって人が将来この暮らしに適合するには膨大な時間が掛かるから、いまは(ローカルでは便利に感じても全体としては)便利の名のもとに、実は動物としてのヒトに
昨日の快晴の日曜日、小田原市文化財課が主催してくださっている文化財建造物、秋の観覧会というイベントに行ってみました。小田原市が管理している建造物の一般公開。このうち箱根板橋地区の四つと鴨宮の一つ、計五つを回ってみました。カメラはAPS-Cセンサーサイズのレンズ交換可能なミラーレス一眼にして、1950年代の古いレンズで撮りました。ちょうど南関東は楓の紅葉が真っ盛りで、どの建造物にも庭があって、赤い楓やそのほかの落葉樹や常緑樹の木々に冬の日差しがあたり、南関東の冬らしい鮮やかで明るい日になりました。写真は三淵邸・甘柑荘という建物。初代最高裁判所長官の方が昭和初期に建てた建物。 とても懐かしい。私は戦前(たぶん昭和初期)に建てられた木造平屋長屋に15歳まで住んでいました。写真の建物とは比べてはいけないほどの安普請だったけれど、南側にそれなりに広い庭があり、バラやボケや紫陽花が植えられていた。小さ
5年前、2018年の秋に撮った写真を見直していたら、1970年代後半?ずいぶん人気のあったジャニス・イアンのレコードジャケットが飾ってあるバーの写真が撮ってありました。場所は東京都写真美術館の横のブリックロードって言ったかな、数軒、飲食店が並んでいるところだと思います。コロナ禍でなのか別の理由もあるのか、この並びにあった飲食店はほとんどがコロナ前の店は畳んでしまい、最近になり新しい店舗が開店している感じがします。この店はどうなんだろう?コロナ禍を乗り越え、いまもあるだろうか? 人気があったジャニス・イアンのことを思い出していたら、フィービー・スノウという別のミュージシャンの名前が記憶から出てきましたが、同じ頃の人だろうか?こういうことってほかにもあります。ロバータ・フラックとカーリー・サイモンがセットになって記憶されているのは、たぶん前者の「やさしく歌って」と後者の「うつろな愛」が同時期に
写真は10年前、2013年の12月上旬の東京は六義園の紅葉です。前も書いたかもしれない話。私が30歳頃にご定年を迎えていたSさん(いまご存命なら100歳近い)は下町、尾久のあたりに生まれ育った江戸っ子だった。一度だけご自宅にお邪魔したことがあった。彼は東京からどこかへ行こうなんて思わないと酔っぱらって言っていた。京都までわざわざ足を運んで寺だ庭だと騒いでるが、庭を見たければ六義園に行けばいい、と言っていた。その六義園の紅葉です。 ここのところ、当たり前だけれど、ブログやインスタでは紅葉の写真がすごく多い。そして、いろんな「あの手この手」でとても劇的だったり美しい紅葉写真をたくさん見ることができる。もみじは新緑もとても美しいのだが、春ならソメイヨシノの花を、秋ならイチョウやカエデの紅葉を観ることに、撮ることに、皆がこれだけ集中して夢中になるのは、やはりその見ごろの期間が短いからなんだろう。よ
先日、横浜を歩いていて、午前10:30頃だったろうか、早くもオープンしている町の昔からずっとあったように思える洋食屋さんに気が付いたので、少し逡巡しつつも、思い切ってドアを押してみた。ランチは、ポーク生姜焼き、ビーフクリームコロッケ、メンチカツ、チキンカツ、あと一つくらいあったかもしれない、味噌汁も付いて900円。チキンカツを頼んで、まだ先客が一人しかいない店内を見回すと、そこここに絵が飾っている。料理は丁寧に一つづつ作っているようで、カウンターの中の厨房からカツを揚げる音が小気味よく聞こえている。カーテンや日に焼けてよれよれで、革または合成皮革かもしれない椅子の座面は破れたところを補修しているうちに、とうとう座面全部がビニールテープで覆われてしまった、それもどの椅子もどの椅子も全部そう、というように傷んでいるものがつかわれていて、椅子のバネも軋むというよりヘタっているようだ。フォークとナ
二日前の日曜日に訪れた神奈川県平塚市の花菜ガーデンの落羽松です。この写真は1950年代のオールドレンズで撮っていて、いまのレンズと比べると解像度が低い、そうなると針葉樹の葉の細かい部分まで解像できない、解像出来ない結果、少しのっぺりとした緑になっている。なんだか、油や水彩で、色をぺたぺたと置いているみたいで、これはこれで面白いですね。解像度とか収差とか、最新のレンズは優秀だけれど、撮れる写真になにを求めるか?によっては、こういうオールドな描写の方が記憶を揺すぶるかもしれない、というところにレンズの面白さがありますね。 花菜ガーデンは広いから、薔薇園から撮り始めると、途中でだんだん疲れて来てしまいます。このあたりまで来るともう写真を撮るエネルギーもだいぶ奪われている。カラータイマーが点滅している感じ。だから一枚だけ撮ってあったけれど、落羽松の特徴である気根があったかどうか?を見極めることもせ
写真は今日から数えて二十日前の京都一乗寺の公園で撮った写真です。この写真から二十日経って、もう木々の葉は散ったろうか、それとも色づきのピークにあるだろうか、そんなことを思うがわからない。 これは遠くの、今いけない場所の木々の葉の色の話だけれど、結局のところ人は相手が自然(この場合は紅葉という一例)でも、誰か関係の深い人でも、過去にならない近過去または現在(今日)に日々相手の状況を把握更新していないと、わからなくなる。多くのことはわからなくなっても気にならないのかもしれないが、わからなくなりたくないこともあるだろう。でもそれはこっちの勝手で、片想いというやつか。あぁ、京都のこの場所でも、ほかでもいいけれど、季節の移ろいが早い季節には今を今としてその移ろいを知っていたい。というような愛のような思いがあるから、ときに定点観測という行為が生まれるのかもしれない。毎日毎日自分の顔を何十年も撮り続けた
言わずと知れた日本橋です。本当は日本橋の麒麟の像のある欄干を真正面にシンメトリーで撮ろうと思っていたのですが、そう写る撮影位置が工事中だったので立つことが出来ず、ずれた位置から撮ったのでこんな構図になりました。意外にこれも悪くない・・・かな? 高速道路の底の裏側にあたる場所の、写真に映っているライトがいつからあったのかは、ちょっと調べただけではわかりませんでしたが、こうして写真を見ると、なんだかその高速道路の底の裏?のライト含めて、いい感じに見えました。64年の東京オリンピックに合わせ、急ピッチで造られた首都高が、日本橋の上に通ってしまい、以来、景観破壊だったという声がずっとあって、いまは数年後かな十数年後かな、首都高は地下にもぐる計画になっていて、そうなれば日本橋の上は空に戻ります。それはたぶんいいことなんだろう、だけど、この景色で何年も何年も経つと、それが当たり前になり、その光景に親し
昨日の写真は2017年の秋の海に向かって座っている一人の男、そして、上の写真は昨日、秋の海に向かって立っている一人の男。いつ海に行っても、そういう男がいる。多くはいないけれど、一人もいないときも、ないかもしれない。それぞれは他人だけど、それぞれは同じ人で、本当は砂浜にいる幻の人で、なにかを伝えるためにそこで待っていてくれるのかもしれない。そんなわけないけれど、そんな風に、冗談めいて、考えてみるのもちょっといいかもしれないな。 来月早々、京都で近所のイラストを描く方と二人展を京都でやります。
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『続々・ノボリゾウ日録 by 岬 たく』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く