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昨年(2014)末、少しまとまった時間ができたので三泊四日の日程で沖縄へと飛んだ。 目的は他でもない。沖縄屈指のディープゾーンとして名を馳せた、コザ吉原と真栄原の街並みをこの目で見ることである。 羽田発6:25のANA機に乗り込む。外は雲一つないピーカン。 文字通りのオフシーズン、しかも平日のクソ早い時間帯とあって機内はガラガラ。 9時過ぎに那覇空港に着き、すぐさまレンタカーを借りる。その足で向かったのは、沖縄第二の都市、沖縄市である。 吉原へ 沖縄市にあるコザ吉原社交街。その歴史は戦後にまで遡る。 白人兵向けの歓楽街としてスタートしたこの街は、やがて日本人向けのちょんの間街へとその姿を変えていったのである。 ちなみに「社交街」とは、沖縄での歓楽街の呼び名だと思っていただけると概ね相違ない。 「吉原」の名は東京の吉原遊郭の名を模して付けられたもので、ここら一帯の住所は「沖縄市美里一丁目」と
大阪には『新地』という独特の色街がある。 かつて遊郭や花街だった場所が、売防法施行後に料亭や旅館として表向きの営業を続けている地域で、全部で五ヶ所ある。 以下、それぞれの歴史、特徴、場所などをざっくばらんに綴っていきたいと思う。 今里新地 ※2018年2月に再訪し、大幅画像追加と加筆修正実施 地下鉄千日前線、今里筋線、さらに近鉄と3つの駅がある今里。この中で、新地へは近鉄今里駅が最も近い。ちんたら歩いても10分程度で到着する。 今里新地は、昭和4年末に花街として産声を上げた。松島遊郭の移転をめぐって起きた事件、松島遊郭移転疑獄のすったもんだの末に開業したという何ともきな臭い歴史を持っている。 駅前を真っ直ぐ南下し、セブンイレブンの先の信号を右折。そこからブロックふたつ越えたあたりが新地の入口となる。 戦後は花街から赤線に移行し、その系譜を汲んで現在はちょんの間街となっている。 かつて『今里
信太山新地 初見だとなかなか読めない。「しのだやま」と読む。 大阪五新地の中ではここだけが異常に離れていて、天王寺から阪和線に揺られること約30分。堺市を越えて和泉市に入る。目的地はそこにある。 駅舎のプレハブ感が、ここが大阪であることを忘れさせる。 何ということか。関西はおろか全国から人を集める性都の玄関口がこんな粗末な造りでいいのだろうか。 信太山新地の歴史はいたって単純明快。ここには陸自の施設があるのだ。 これだけで色街が形成される条件になり得るが、さらに古い話では、熊野街道(阪和線沿いを走る府道30号線)の禊の地として遊里が発展したという説。かつては「八坂新地」と呼ばれていたらしい。 戦後は赤線に移行し、売防法施行後に今の業態になったであろう信太山が飛田や松島と違うのは、料亭ではなく旅館であるという点。 駅の南側、府道30号を左折。このままてくてく天王寺方面に戻り、5分も歩けば信太
このたび、東京ニュース通信社より全国の重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)を紹介した『全国重伝建紀行...
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