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厄介すぎる芸名を背負って生きてきた男が、自らのデリケートゾーンに踏み込みまくる一冊。なにしろ帯文からこの調子である。 「殿(ビートたけし)と相棒(水道橋博士)と離れ、独りになった。コロナ禍で(自ら経営する)スナックには閑古鳥が鳴いた。初孫が誕生し、母親は施設に入った。カミさんは、オレに愛想を尽かして出て行っちまった」「それでもオレは、酒を呑んで、笑って、時に打ちひしがれながら、生きてゆく――」 前作『粋な男たち』の発売から5年半の間に起きた触れづらいエピソードの数々。それを、「オレが長年にわたり心血を注いできた漫才コンビ『浅草キッド』は、正式な解散宣言こそしていないものの、実質的な“解散状態”にある」「どうしてこんなことになっちゃったのかな? 自分でもよくわからないよ」「ふたりで漫才をすることが絶対に不可能ではないにせよ、かなり難しい状況であることは間違いない」「いまの状況はボタンの掛け違
二十年ほど前、見知らぬ中年女性に突然話しかけられたことがある。「昨日から何も食べていないので百円貸してくれませんか」。当時、学生だった私の中にあった“ホームレス”像と、目の前の彼女の姿はまったく重ならなかった。 昨年十月に刊行されたこの『小山さんノート』を読んで愕然とした。あのとき自分に見えていなかったもの、想像しようとしなかったものをそのまま差し出されたような気がした。 「そうやって自分ごととして考えながら、生きてきた時間や経験にひきつけて読んでくれる読者が多いんです。嬉しいし、この本の在り方が通じているような気がしています」(エトセトラブックス・松尾亜紀子さん) 2013年末、都内の公園で亡くなったホームレスの女性「小山さん」。彼女が暮らしたテントの中には、なにやら手作りのキラキラしたものと、大量の手書きのノートが遺されていた。それらを有志の女性たちで書き起こし「身を切る思いで抜粋した
昨年、NHK BS4KおよびBSプレミアムで放送された「天使の耳 交通警察の夜」(前後編)が、NHK総合の「ドラマ10」で全4回に再構成されて放送された。原作は東野圭吾の『天使の耳』(講談社文庫)。6編が収録された短編集で、1989年から91年にかけて雑誌に掲載されたものだ。うわあ、もう30年以上も前の小説なのか。 原作はいずれも交通事故をモチーフに、交通課の警察官たちが事故の裏側に迫っていく様子を描いている。東野圭吾らしいどんでん返しが仕掛けられたトリッキーな作品集であるとともに、当時の交通法規制の問題点を炙り出す社会派な物語でもあった。 原作に収録されているのは、交差点で起きた衝突事故で信号はどちらが青だったのかを盲目の少女が立証する「天使の耳」。走行中のトラックがいきなりハンドルを切って中央分離帯を乗り越えた理由を探る「分離帯」。初心者マークをつけた車が後続車に煽られて事故を起こして
ロシアのウクライナ侵攻が始まってから2年が経った。 この間、ロシアが北海道に上陸を仕掛ける“両面作戦”がとられるのではないか、という推測を目にした方もいるのではないか。 ロシアがウクライナとの戦争中、日本に攻め入ることは物理的にまず不可能だと語るのは、防衛研究所防衛政策研究室長・高橋杉雄氏だ。 冷戦期には“現実的な脅威”だったソ連による「北海道の占領」が、今では非現実的となった理由とは。現在のロシアに欠如する能力と、日本が北海道に配置する陸自の“最精鋭部隊”について、高橋氏の著書『日本人が知っておくべき自衛隊と国防のこと』より探ってみよう(以下、抜粋は同書より)。 ■ソ連にとって最善策だった「北海道の占領」 冷戦期の主戦場はヨーロッパですし、大陸では中ソ対立もありました。そんな国際情勢の中で、日本は主要なプレイヤーのポジションにはいませんでした。にもかかわらず、ソ連の日本侵攻はありうると考
文芸評論家の細谷正充が、フレッシュな新人作家5名から、面白さ保証のベテラン作家の本までを紹介します。 *** 掲載されるのは二〇二四年三月号だが、私にとっては今年最初の「ニューエンタメ書評」である。ということなので新しい年に相応しく、新人のデビュー作から始めよう。まずは、葉山博子の『時の睡蓮を摘みに』(早川書房)だ。第十三回アガサ・クリスティー賞大賞受賞作である。 一九三六年、女子専門学校の受験やお見合いに失敗した滝口鞠は、日本から逃れるように父親のいる仏領インドシナの首都ハノイに向かった。大学に入学して、念願の地学を学ぶ鞠。だが戦争へと向かう時代のうねりに彼女は翻弄されていく。 戦前から戦中をハノイで生きた、自立心旺盛な日本人女性を中心に、幾人かの波乱の人生を活写した歴史ロマンである。先に触れたように、アガサ・クリスティー賞大賞受賞作なので、ミステリーの要素はある。スパイや策略が渦巻いて
精神科医のアンデシュ・ハンセンさん ©Stefan Tell 「努力は遺伝に勝てない」「子育ての苦労や英才教育の多くは徒労に終わる」など、日本において口にすべきでないとされがちな“不愉快な現実”がある。これらのタブーを進化論や遺伝学、脳科学の知見から明かしたベストセラーが橘玲さんの『言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)だ。 この橘さんが「同じことをいっている」というスウェーデンの精神科医がいる。世界的ベストセラー『スマホ脳』の著者、アンデシュ・ハンセンさんだ。ハンセンさんが遺伝や進化の観点から心の問題を解説した最新刊『メンタル脳』(新潮新書)は、スウェーデンの4000の学校に配られたという。 他国では推奨される一方で日本においてはタブー扱いされる、メンタルと遺伝・進化の深い関係について解説した橘さんの『メンタル脳』書評を以下、ご紹介する。 *** 拙著『言ってはいけない』で、「ひ
一九五九年、ウラル山脈北部の雪山で若者の登山チーム九名の遺体が発見される。テントから一キロ以上離れた場所で皆散り散りになり、服や靴は脱げ、三人は頭蓋骨折などの重傷、一人は舌を喪っていた。一部の衣服からは濃度の高い放射線が検出された─。 「世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相」とサブタイトルが付けられた『死に山』(安原和見訳)は、フロリダ出身の映像作家ドニー・アイカーが現場へ足を運び、チームに何が起きたのかを探った渾身のルポルタージュ。冬山登山の模様、遺族ら関係者への取材、九人の当時の足取りを再現する時間軸を交互に配置し、写真や図解などの資料も豊富に盛り込みながら真実に迫ってゆく。 殺人説、陰謀説、宇宙人の仕業説などのあらゆる仮説を取りあげ、導かれた結論は驚きの一言。しかし荒唐無稽ではなく、専門家による詳細な裏付けも記されていて、こんなこともあるのかと唸らずにはいられない。そし
世界的な人気を誇るサイエンス・ライター、サイモン・シンの邦訳著作は、なんと累計120万部を超える。数学の天才たちの人間ドラマを追う過程で数学の真髄を伝えるノンフィクションの名作『フェルマーの最終定理』(新潮文庫)は、いまも、ロングセラーの記録を伸ばしている。サイエンス翻訳の名手として知られ、サイモン・シンの全著作を手掛ける翻訳家、青木薫さんが、『フェルマーの最終定理』訳出の舞台裏を振り返る。翻訳の過程で起きたドラマのような出来事、その時、あの著名な数学者はなんと言ったのか――。(本文・青木薫) 「数学を伝える」ために、翻訳者として日頃努力していることを書いてほしいというお申し入れがあった。しかし、あらためて考えてみると、数学を伝えるために翻訳者にできることは、ごくごく限られているように思う。訳語を工夫するといっても限度があるし、妙に砕けた言いまわしは、かえって内容を伝えにくくする面もあると
8月末、Xで「#ペドフィリア(小児性愛)差別に反対します」なるハッシュタグがトレンド入りした。 何事かと思っていたら、小出版社「ころから」が、「ペドフィリアを含むあらゆる内心の自由について、いかなる制限もなく保障されるべきだと考えております」との告知を掲げた。目を疑うべき事態である。 あらましはこうだ。昨年8月、ころからは『イン・クィア・タイム』というアジア系クィア作家アンソロジーを翻訳出版し、作家の王谷晶に帯文を依頼した。ところが、王谷がペドフィリア差別発言をしていると本書訳者の村上さつきとその連帯者が指摘し、帯文の撤回を要求したのである。王谷の「『LGBTQのQにペドフィリアが含まれる』はデマだ」というツイートが糾弾されたようだ。 王谷には、トランス差別を指摘されて長文の反省文を書き、熱心なアライ(支援者)に転じた過去があった。王谷は今回も自らの差別意識を自覚反省し、ペドフィリア差別反
今、売れに売れている本がある。今年の5月に発売された『世界でいちばん透きとおった物語』(新潮文庫nex)は口コミやSNSでのレビューが評判を呼び、発行部数があっという間に28万部を超えた。 表紙を一見すると、爽やかな感じの青春小説のようだが、発売元が「絶対に電子化はできません」と断言するように紙の書籍でないと味わえない謎解きがある、ミステリ要素の強い物語だという。 主人公は二十歳の男性で、彼の父親が亡くなったところから物語は始まるのだが、この父親が非常にクセのある人物なのだ。大御所のミステリ作家であり、妻帯者にもかかわらず大変なプレイボーイだった。主人公は不倫の末に生まれ、認知もされずに母親の手で育てられた。 この主人公が、亡き父が最期に執筆していたという遺稿を探し始める話なのだが、なぜこれがベストセラーとなっているのか? かつてニート生活を送っていたこともあるという著者の杉井光さんの言葉
「新潮」2016年5月号 日本で一番受賞が難しい文学賞は川端康成文学賞です。というのも、授賞対象が前年度に発表された短篇作品だから。書店に行って、五大文芸誌(「文學界」「新潮」「群像」「すばる」「文藝」)の目次を見てみて下さい。半分くらいが短篇小説で占められているのがわかるはずです。その一年分の中から選ばれるわけで、年に二回も開催され、対象が新人作家の発表した中短篇に限る芥川賞あたりと比べると、競争率の高さは半端じゃありません。 最終候補に残るのだって大変なことです。その意味で、受賞作以外のタイトルも公表してくれるのは小説ファンにとってありがたいかぎり。おそらくは三百篇近いであろう新作から候補に挙がったということは、たとえ落選したとしても優れた作品にちがいなく、読んでみたいという気にさせられるからです。 その証拠が過去のリスト。たとえば、色川武大「百」が受賞した第九回(一九八二年)の落選作
歴史的名著『歴史の終わり』の著者フランシス・フクヤマによる一冊『リベラリズムへの不満』が刊行された。 リベラリズムへ向けられる理論的批判に答えつつ、リベラリズムの価値と再生への道を提示した本作の読みどころを、東京大学教授の宇野重規さんが紹介する。 宇野重規・評「あのフクヤマが書く堂々たるリベラリズム論」 タイトルは『リベラリズムへの不満』であるが、内容は堂々たるリベラリズムの擁護論である。ただし、あのフクヤマが書くリベラリズム論である。右派のポピュリズム、左派のアイデンティティ政治によるリベラリズム批判に応えつつ、ジョン・ロールズに代表される現代アメリカのリベラリズムともはっきりと距離を取る点に特徴がある。ロールズの立場が中道左派的なリベラリズムであるとすれば、フクヤマは中道右派的なリベラリズムとも言える。コンパクトな本であるが、極めてバランスの取れた「王道」的なリベラリズム論であろう。
■なぜあの人は仕事ができて、私はできないのか? 「あの人はどうして仕事をテキパキこなせるんだろう」 社会人になって最初の数年、そんな思いを抱えていました。コンサルタントという仕事は、日々多くの作業に取り組まなければいけません。しかし、並行作業が増えすぎて、やらなければいけないことを見落としてしまったり、手戻りで締め切りに間に合わなくなったりと、自分の仕事のできなさに悩んでいました。 一方で、私以上に作業を抱えている先輩社員は、どんどん発生する新しい作業をテキパキとスムーズに処理しています。最初は「私とは地頭が違って才能があるんだろうな」と思い込んでいたのですが、同じチームで仕事をしているうちに、あることに気づいたのです。 それは「整理する力」の違いです。先輩社員を含め、テキパキと物事に取り組んでいる人たちは、あるテクニックを実践していました。これは属人的なものではなく、やり方さえ知っていれ
著者は日本の経済ジャーナリストを代表するひとりだ。個人的には「最も優れた」という形容詞をつけたい。日本の政官財の欲望渦巻く世界、ワシントンでの覇権国家アメリカの生々しさ、打算に秀でた中国の政治家たち、そして長期停滞の舞台裏までを、現場での取材を豊富に交えて描き、現代史の証言として面白い。 田村氏が経済ジャーナリストとして最も優れているのは、現場体験を踏まえ、客観的なデータとそれを的確に読み解く経済学の基礎がしっかりしているからだ。当たり前のようでいて、経済学を適切に現場で応用できる記者は日本にはほとんどいない。日本の経済記事の後進性はひどいものなのだ。 取材対象との距離感も素晴らしい。日本の記者たちはしばしば取材対象と懇意になりすぎてしまい、忖度を重ねる「御用記者」が多い。いまでも財務省のご機嫌をとるかのような緊縮財政記事ばかり書いている。このような安易な姿勢とはきっぱり決別しているところ
フリースタイルラップと和歌の意外な共通点 宇多丸 いとうさんは、「フリースタイルダンジョン」の審査員をずっと務められてきて、若い子のフリースタイルバトルを、僕なんかよりいっぱい見てるじゃないですか。 いとう 見てる見てる。 宇多丸 ラップの仕方や内容に、何か変化って感じられますか? いとう 高校生とか中学生くらいの子が、あまりにうまい入り、スタイル、切り返しとか、韻の踏み方とかをしてくるわけじゃないですか。もう完全に日本語というもののエンジンが変わったなっていう感じがある。いま彼らは、現実に会話してるときにはない脳の働きでやってるわけだから。サイファー(※2)で常に自分たちを鍛え、リズムの中でどれくらい韻が踏めるかっていうことを頭の中に叩き込み、言葉を喋っていく。それから相手の論理をどういうふうにいなすのか、ひっくり返すのか、脅すのかっていうようなことも同時にやっていく。 宇多丸 それこそ
「言語とはジェスチャーゲームのようなものだ」という画期的な見方を提示して話題になっている『言語はこうして生まれる 「即興する脳」とジェスチャーゲーム』。同書に刺激を受けたライムスターの宇多丸さんが、日本語ラップの先駆けであるいとうせいこうさんと対談。コミュニケーション論から日本語の歴史、フリースタイルラップと言語の変化などを縦横に語り合った。 会話の主導権は「聞く側」に? 宇多丸 この本を読んだ時、いとうさんと話したいと思ったんです。 いとう うん。言語というと、ある言葉の「A」というイメージをそのまま運んで、相手がそれを受け取るという風に思ってしまう。でも、実際のコミュニケーションはそんなことはなくて、実は短波放送みたいにすごく雑多なノイズだらけの音の中から正しい歌詞を見出すみたいな作業をしているわけだよね。 宇多丸 そうです。さぐりさぐりで、なんとか工夫しながら、ジェスチャーゲームのよ
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