1949年以来、旧大阪2区から6回にわたって国会に送りだされ、日本共産党衆院議員団長を務めた川上貫一︵1888―1968︶。﹁白髪の青年﹂といわれ、変革の情熱にみちた演説が聴衆を魅了し、﹁私の川上はん﹂と、誰もがほおっておけない人柄が多くの人に語り伝えられています。51年1月、衆院本会議で﹁日本の独立、平和は、全面講和の締結と占領軍の即時かつ完全な撤退によって実現される﹂と主張し、米日反動勢力の犯罪的なたくらみを糾弾しました。これが﹁国会の品位を汚した﹂と﹁懲罰委員会﹂が﹁陳謝﹂を求めますが、川上は敢然と拒否します。それを理由に、3月29日、賛成239、反対71で除名処分を下します。 反対討論には大阪4区選出の加藤充がたちました。﹁院内多数の暴力をもって、真の愛国者である川上君を除名することはできるかもしれない。しかし、全日本、全世界の平和と自由を熱望する10億の人々を除名にすることは断