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斎藤幸平の著書『人新世の「資本論」』は、彼の想像をはるかに超えて、50万部以上を売りあげた 斎藤幸平が「脱成長コミュニズム」について書いてみようと決めたとき、担当編集者が懐疑的だったのも無理はない。日本ではコミュニズムは不人気だ。誰もが、経済成長を絶対的に良きものだと信じている。 だから、人口減少と経済停滞という日本の現状を危機としてではなく、マルクス主義的な再創造の機会として見るべきだと主張する本に、売り上げを期待するのは無謀だと思われていた。 しかし、売れた。2020年に刊行された斎藤の著書『人新世の「資本論」』は、彼の想像をはるかに超えて、50万部以上を売りあげた。斎藤は東京大学で哲学を教える准教授だが、日本のメディアに頻繁に登場して、自分の考えを訴える。『人新世の「資本論」』はすでに数ヶ国語に翻訳され、来年1月には英語版が出版される予定だ。 日本では、増加する老人の介護問題であれ、
RECIPE BY YOKO ARIMOTO, PHOTOGRAPHS BY YUKI SUGIURA, TEXT BY MIKA KITAMURA 有元流フライドポテトはほんのひと手間で、まわりがカリッカリッ。中はホクホク 「揚げものは、油の質が大切です」 情報が氾濫する今、私たちは“体によい”と言われればその食材を選び、反対ならやみくもに避けてしまっていないだろうか。例えば、揚げもの。おいしいけれど、“カロリーが高くてヘルシーではないから”、“太りたくないから”と控えている方も少なくないだろう。 「古い油を使っていたり、揚げてから時間が経ったりしたものは、油が酸化し、体にいいとは言えませんね。新しい油を使い、揚げ立てをいただけば、油の酸化は最低限で済むのです。だから、揚げものは家庭でするのがおすすめね」と有元さん。 「揚げる作業は大変と思われがちですが、調味に凝る必要はなく、油の力で素
「人新世」の危機を乗り越えるには ーー 斎藤幸平 際限なく利潤を追求する資本主義。安価な「資源」と「労働力」を搾取し、「市場」を作り出し続けるためには、常に新たなフロンティアが必要だ。 「しかし地球は有限です。今や資本主義を潤すフロンティアは、ほとんど残されていません。それどころか、人類の経済活動、すなわち資本主義が地球環境そのものを破壊する『人新世』と呼ばれる時代に突入してしまった。先進国に暮らす私たちも逃れられない環境危機に直面しているのです」 『人新世の「資本論」』の著者・斎藤幸平は、現在の状況をそう捉えている。ベストセラーとなったこの本は、「SDGsは『大衆のアヘン』である!」、そんな強烈なパンチラインで幕を開ける。各国政府や企業が推進するSDGs(持続可能な開発目標)は、環境危機から目をそらさせるための免罪符だと言うのだ。 斎藤幸平(KOHEI SAITO) 1987年生まれ。大
BY TOMONARI COTANI, PHOTOGRAPH BY KENSHU SHINTSUBO, EDITED BY JUN ISHIDA 重要なのは多様性より多重性 ーー 千葉雅也 昨今のSNS界隈では、格差問題に紐づくさまざまな意識が前面化しているかのごとく、あらゆるイシューにかこつけて「足の引っ張り合い」が繰り広げられている。とりわけその傾向が強いメディアがツイッターだ。『ツイッター哲学 別のしかたで』という著書をもち、ツイッターの存在なくして今の自分のキャリアはなかった」とも語る哲学者・小説家の千葉雅也の目には、今日のツイッターの状況はどのように映っているのだろうか。 「とても単純な二元的な立場の対立、つまりどちらにつくかという選択を迫る空気が強いですよね。第三の道とか、二項対立ではない複雑さを言おうとすると、『ちゃんと状況にコミットしていなくて冷笑系』とか言われるわけです。
芸術家、フランソワーズ・ジローがパブロ・ピカソと初めて出会ったのは1943年。彼女が21歳のときだ。ある夜、2人はたまたまパリで同じレストランに居合わせた。ピカソは当時の恋人、ドラ・マールと友人たち、一方のジローは彼女の友人たちと食事をしに来ていた。食事を終えたピカソはジローたちのテーブルにやってきて、チェリーの入ったボールを差し出すと、グラン=ゾーギュスタン通りにあるアトリエを見にこないかとジローを誘った。すでに世界的に有名な芸術家となっていたピカソだが、もはや1920年代から30年代にマン・レイのカメラがとらえた“ハンサムな獣”のようにはジローの目には映らなかった。それでも、ジローは61歳のピカソに心奪われた。 これは広く知られた話だ。というのも、1964年にジローが米国のジャーナリスト、カールトン・レイクとの共著で出版した回想録『ピカソとの日々(原題:『Life With Picas
BY AATISH TASEER, PHOTOGRAPHS BY ROE ETHRIDGE, STYLED BY CARLOS NAZARIO, TRANSLATED BY JUNKO HIGASHINO 「不安や恐れが僕にとっての原動力なんだ」とジェイコブスは話し始めた。 11月のNY、ソーホー。巨大なファッション史の本がずらりと並んだ彼のアトリエで、私はジェイコブスと差し向かいに座っていた。56歳の彼は、見上げるような高さのプラットフォームブーツを履いている。軍装備品のような電子タバコ「Smok G-Priv」を持つ指先にはグリーンとサファイア色のラインストーンがきらめき、ジェルで整えた長めの黒髪にはバレッタを並べて留めている。ブラックのウールパンツに合わせているのは、セリーヌのピンストライプジャケットだ。そのダークグレーの襟元からは、ブルーのエルメスのシルクスカーフをのぞかせている。
遡ること2018年11月、東京で開かれたディオールの2019年 メンズ プレフォール コレクションのショー。そのランウェイの中心に置かれていたのが全長11メートルを超える「セクシーロボット」の彫刻だった。制作したのは、アーティストの空山基。モデルたちがまとったウエアにも、空山が描いた「セクシーロボット」や「ロボット恐竜」、また空山がアレンジしたシーズン限定のディオールのロゴがモチーフとして使われた。 「その少し前、2018年の夏に開いた私の個展に(ディオールのメンズ・アーティスティック・ディレクターの)キム・ジョーンズがやって来てね。それがコラボレーションのきっかけ」と、空山は当時を振り返る。「キムは海外で出版されている私の作品集を持っていて、昔からのファンだったみたい。翌日に一緒に食事をしたら、その場で『コラボレーションしませんか?』って。その時が初対面。その後もいままでにないくらいスピ
トリノから北へ1時間ほど電車で行ったところにある町、イヴレーア。この小さな町は、1950年代に、生活と労働を融合させたかつてない実験の舞台となった。タイプライターと会計機器のデザインと製造で名を馳せたオリベッティが、社員たちの生活を一生面倒みると決めたのだった。社員たちは社の敷地内にある商業専門学校で授業を受ける機会を与えられていた。昼食時には、同社を訪れた著名人ら(俳優、音楽家、詩人など)によるスピーチや公演などの催しものが目白押しだった。また、社員が引退すると、高額の退職金が給付された。社員が希望すれば、オリベッティが建設したモダンな家やアパートメントに入居することもできた。社員の子どもたちのための無料の保育所があり、出産する女性社員には10カ月の産休が与えられた。 7月は夏期休暇で、近郊に住む社員たちは、その間、自宅で農作業に専念することができた。社員たちに、都市と郊外の間で引き裂か
中秋の名月の翌9月14日、満月の夜に群馬県渋川市にある「ハラ ミュージアム アーク」に建築関係者ら約200名が集った。今年88歳を迎えた建築家、磯崎 新の米寿を祝うためだ。ハラ ミュージアム アークは東京にある原美術館の別館で、設計は磯崎が手がけた。広大な敷地にはオラファー・エリアソンやアンディ・ウォーホルの作品が点在し、美術館の一角をなす「觀海庵」では『縁起』と題した磯崎の展覧会も前日から始まった。 大型バス3台に分かれて会の参加者が到着する。その中には建築家の妹島和世や青木 淳、石上純也らの顔も見える。日が暮れる前にホンマタカシによる集合写真の撮影が行われ、会が始まる。お祝いのスピーチの先陣を切るのは、磯崎 新アトリエの元所員、渡辺真理(まこと)だ。「磯崎さんの周囲には、常に新しく謎だらけの興味深いプロジェクトが渦巻いていて、見とれているといつの間にか自分も巻き込まれ、大変な困難に直面
いつの時代も“永遠の命”の探求は建築に込められたテーマだった。死んだファラオ(王)の魂が天に昇っていけるようにつくられたという巨大な階段状のピラミッドに始まり、野心的なネーミングの展示会場「ニューヨーク・コロシアム」(1956年竣工、2000年解体、歴史的建造物を遺した古代ローマ皇帝の仲間入りを果たそうと目論んだ都市開発の帝王ロバート・モーゼスが建設)に至るまで、数多くの建造物が永遠の命を求めてつくられてきた。 60年代ニューヨークのコンセプチュアルアーティストでアマチュア建築家、ダダとフルクサス運動の架け橋的存在とみなされていたマドリン・ギンズと夫の荒川修作(名字の「アラカワ」で通っていた)に至っては、「死を逃れる」というテーマを――風変わりではあるかもしれないが――文字どおりに解釈し、それを建築で表現した。そして、ふたりがつくった家に住めば、本当に永遠の命を手に入れることができると確信
ここはマンハッタンの築130年の建物、その地下にある茶室躙り口のこちら側から中を望む。多目的な用途も想定され、茶室としては広めの六畳間。炉が切ってあり、水屋も備えた堂々たるものである。「型にはまらないこと。アーティストのニーズに忠実にこたえてユニークな茶室にすること。多様な使い方に対応できること。アーティストの人柄に合わせること」。蔡國強氏から茶室の設計を依頼された建築家の重松象平氏が意識したのはそんなことだった PHOTOGRAPH BY AKIRA YAMADA 「茶室は簡素にして俗を離れているから真に外界のわずらわしさを遠ざかった聖堂である。ただ茶室においてのみ人は落ち着いて美の崇拝に身をささげることができる。」(岡倉覚三『茶の本』原文英語、村岡博訳 岩波文庫所収) 昨年、横浜美術館で大規模な個展『蔡國強展:帰去来』を開催した現代美術家、蔡國強。上海演劇大学で舞台美術を学んだあと筑波
いい歌には羽がある。国や時代を越えて飛んでゆく。オーストリア生まれのシューベルト(1797~1828)の歌曲もそうだ。はるか遠く日本で、今なお愛されているのは間違いない。だが、歌に描かれている情景や登場人物は、ドイツ語の霧の向こうに霞んではいないだろうか。日本語の魔術師、松本隆がその霧を取り払った。『冬の旅』(1992年)、『美しき水車小屋の娘』(2004年)に続き今年4月、日本語に訳詞した『白鳥の歌』がCDになり、三大歌曲集プロジェクトがついに完結した。 日本語ロックの草分け「はっぴいえんど」のドラマーであり、作詞担当だった松本。その代表曲「風をあつめて」はソフィア・コッポラ監督の『ロスト・イン・トランスレーション』でも流れていた。バンド解散後、寺尾聰の「ルビーの指環」、松田聖子の「赤いスイートピー」などなど数えきれないヒット曲を手がけてきたことは周知の通り。そのかたわら取り組んできたの
BY NIKIL SAVAL, PHOTOGRAPHS BY ANTHONY COTSIFAS, TRANSLATED BY FUJIKO OKAMOTO ほかの写真をみる ル・コルビュジエが設計した、東アジアで唯一の建築作品。いたって控えめな外観の〈国立西洋美術館〉(1959年竣工・東京) その建物は決して壮大な建築として声高に存在を主張しているわけではない。東京の最北端、江戸の面影を残す上野に、比較的小さなコンクリートの箱が細い柱に支えられて建っている。公園の中でひときわ目立つ灰色の大きな広場は、入場者を厳粛な気持ちにさせる。建物に近づくにつれ、正面に広がるフラットな空間から一転、小石をぎっしりと埋め込んだコンクリートパネルの外壁へと視線が導かれる。中心からはずれた位置に突き出るように設置された階段には、“芸術の殿堂”へと昇っていくという象徴的な意味が込められている。この建物
BY JUNKO ASAKA, PHOTOGRAPHS BY SHINSUKE SATO, HAIR & MAKEUP BY MAI HANZAWA 慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスの研究室にて。自身の専門である教育経済学について語る言葉はよどみなく、まなざしもきりりと鋭いが、大好きなファッションや愛猫の話になるとチャーミングな笑顔がこぼれる 慶應義塾大学の准教授、中室牧子さんの専門は「教育経済学」。すなわち「教育をデータを用いて統計学的に分析する応用経済学」だ。なかなか耳慣れないこの学問を、中室さんは日本における教育の実践の場で活用しようとしている。 慶應義塾大学を卒業後、日本銀行を経て単身ニューヨークへ。その後、ワシントンDCにある世界銀行で開発途上国の経済や医療、教育、インフラなどの調査研究に携わった。現在、中室さんが提唱している「科学的根拠(エビデンス)のある教育政策」という考え方は
キアヌ・リーブスといえば、これまでの当たり役のイメージが記憶に焼きついているだろう。『ハートブルー』(1991年)では、ストイックなFBI覆面捜査官。『マトリックス』(1999年〜)シリーズでは、お告げに導かれて暗黒の未来社会と戦うストイックな救世主。『地球が静止する日』(2008年)では、未知の惑星からやってきたストイックな使者を演じた。そんな彼が「アート系出版社のストイックな創業者」であると聞いても、あまりピンとこないだろうが、これもまた最近、彼の代名詞になっている。昨年の夏以来、キアヌがビジュアルアーティストのアレクサンドラ・グラントとともにロサンゼルスで立ち上げた小さな出版社「X Artists’ Books」は、精力的に作品を世に送り続けている。どのタイトルも、決して大手出版社が手を出さない、マニアックなものだ。 キアヌ
生活費を稼ぐための仕事は創造的探究とは対極にある――と思われがちだが、さにあらず。芸術家たちはいつの時代も「仕事」をもっていた。はたして創作以外の仕事は創作にいい影響を与えるのだろうか? PHOTOGRAPH BY MARI MAEDA AND YUJI OBOSHI かつて、アーティストが二足のわらじを履いていた時代があった。といっても「ベルディの新作オペラを買うよう議会図書館に提案する」といったいかにもそれらしい仕事ではなく、芸術とはおよそかけ離れた職業をかけもちしていたのだ。選挙演説のネタにされるような、ごく「普通の職業」との両立である。 たとえばT・S・エリオットは、日中は勤務先のロイズ銀行で外国籍の口座を管理するかたわら、夜の時間を使って『荒地』(1922年刊行)を書きあげた。詩人のウォレス・スティーブンズは保険会社に勤務して、不動産の権利に関する法務を任されていた。彼は約3キロ
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