1872年(明治5年)に日本で最初の鉄道が新橋・横浜間で開業してから10月14日で150年です。各地で開かれた記念のイベントをまとめました。貴重なアーカイブ映像も紹介しています。 【この記事でお伝えしている内容です】 JR上越線でSLの特別列車 鉄道博物館「1号機関車」の汽笛を鳴らす 長崎 明治44年製造の路面電車を運行 近江鉄道 “デニムの聖地へ” 駅員がPR 1980年代の首都圏を走っていた鉄道車両 南海電鉄高野線 昭和9年の映像をAIでカラー化 京都 梅小路機関車庫で「頭出し展示」 広島駅で駅弁を販売するイベント 特別列車「なごみ(和)」新橋から桜木町へ 「鉄道の父」井上勝の功績 横浜 外国人技師の墓に花をたむける
1972年6月に刊行された『日本列島改造論』で、田中角栄は日本における鉄道の重要性を説いていました。全国を新幹線ネットワークで結ぶ構想を提唱したのが田中角栄であることはよく知られていますが、地方の鉄道路線についてはどう考えていたのか。作家の小牟田哲彦氏が新著、『「日本列島改造論」と鉄道』(交通新聞社新書)でその点を深く分析しました。同書から地方ローカル線に関する部分を抜粋して紹介します。 地方ローカル線はどう記述されているか 『日本列島改造論』が説く鉄道政策の大部分は、新幹線ネットワークの拡大に関することが占めている。在来線に関することは、全国新幹線鉄道網ネットワークを整備して長距離旅客需要を新幹線へ集約させたうえで、旅客輸送力に余裕ができた在来線が貨物輸送や地域密着輸送の主役として機能する役割分担を図るべき、という形で言及している。同書の第Ⅳ章「人と経済の流れを変える」の後半項目「工業再
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静岡県内で着工のメドが立たず、袋小路に入った感のあるリニア中央新幹線。プロジェクトを前に進めたい関係者の間で「奥の手」がささやかれるようになっている。反対の盾となっている大井川の管理権限を県から国に戻し、国が工事の許可を出すという奇策だ。法的には可能というが、いかにも無理筋なアイデアが取り沙汰されること自体が局面の難しさを映す。「具体的に何が不安なのか教えていただきたい」。7月10日、藤田耕三
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