![浜田靖一防衛相(67)が反社に囲まれ“出家祝い”証拠写真《合計で逮捕11回入れ墨男も》 | 週刊文春 電子版](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/f9c87da0361e78e8eb802958449af1b553c5f7b2/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fbunshun.jp%2Fmwimgs%2Fa%2F9%2F1220wm%2Fimg_a9759e5c0e14132f8a6b97d30cdd5c31532731.jpg)
折しも、俺たちの麻生太郎さんが台湾で「(中国と)戦う覚悟」が必要と素敵な放言をしたころ、8月7日付ワシントン・ポスト紙でエレン・ナカシマさんによる「中国が日本の重要な防衛ネットワークへハッキングを続けており、日本側は対処できてこなかった」とする趣旨の記事をぶっ放し、騒然となっております。 China hacked Japan’s sensitive defense networks, officials say https://www.washingtonpost.com/national-security/2023/08/07/china-japan-hack-pentagon/ ユルユルな防衛ネットワークに侵入者が 時系列的には20年秋ごろ、米NSA(電話やインターネットなどの通信網の盗聴・通信傍受と分析を主任務とするアメリカ政府の組織)が、日本・防衛省の防衛ネットワーク内に中国の手に
「これもう100回ぐらい、そうじゃないって説明したんですけど、みんなもう面白おかしく言ってるだけです」 元パソナ会長の竹中平蔵氏が辟易する「ワイドショー的な議論」とはいったい? 100万人超え登録YouTubeチャンネル「日経テレ東大学」(※2023年5月末で動画視聴終了)の人気トーク番組を書籍化した『なんで会社辞めたんですか?』(編著:高橋弘樹、日経テレ東大学/発行:東京ニュース通信社/発売:講談社)より一部抜粋してお届けする。 竹中平蔵はなぜパソナ会長を退いたのか 高橋弘樹(以下、高橋) 竹中さんはパソナグループの会長を2022年8月にお辞めになられたということで、ささやかですが、ご卒業おめでとうございますの花束をどうぞ! 竹中平蔵(以下、竹中) ありがとうございます。 高橋 何年間勤められたんですか? 竹中 13年間ですね。 高橋 会長職としては、結構長いですね。今回、「なんで会社辞
不動産大手「オープンハウスグループ」で新卒採用を担当する人材開発部の“幹部社員”が、就活生に向かって「オツム弱いじゃん」「ぶん殴るよ」などと発言したとされ、トラブルになっていることが「週刊文春」の取材で分かった。 「行こうぜ1兆!2023」のスローガンの下、今年度内でのグループ連結売上高1兆円突破が確実視されているオープンハウスグループ。だが、急成長を遂げる同社を巡って今、多くの関係者から問題を指摘する声が相次いでいる。 そして今回、編集部に新たな告発が寄せられた。声を上げたのは、今年、同社の新卒採用試験を受けていたという都内の私大4年生・A君である。 「人格を否定されるような言葉を何度も…」 当のA君がこう打ち明ける。 「実力があれば若くして出世できるし、給料も稼げる。そんなイメージに魅力を感じていました。しかし選考中、採用担当の社員に人格を否定されるような言葉を何度も投げかけられ、幻滅
唯一の目撃証言は4年前 “最初の事件”は2019年7月16日午前4時、世界自然遺産・釧路湿原の北に位置する標茶町オソツベツ地区の牧場で発覚した。牧場関係者が放牧中の牛1頭の姿が見えないことに気付き、捜索したところ、森の中で無惨な姿で殺されている牛の死骸を発見したのである。その関係者が思わず声をあげると、20メートルほど離れた藪の中から1頭のクマが飛び出し、逃げていった。後々まで、これがこのヒグマに関する唯一の目撃証言となる。 写真はイメージ ©iStock.com 以来、8月5日に8頭、8月6日に4頭、8月11日に5頭……といった調子で連日牛が襲われるようになり、その被害は2ヵ月で実に28頭に及び、現場に残された体毛のDNAにより「同一犯」によるものと推測された。この頃になると、最初の事件が起きた地区の名前「オソツベツ」と、現場に残された足跡の幅が「18センチ」とされたことから、このヒグマ
ジャニーズ事務所の創業者・ジャニー喜多川氏の性加害問題。英BBCのドキュメンタリー番組の放送以降、小誌はこれまで20人の被害者に話を聞いてきた。今回、証言してくれたK氏は、被害を受けたホテルには、郷ひろみやジャニー氏の姉・メリー喜多川氏、その娘の藤島ジュリー景子氏もいたと、「週刊文春」の取材に語った。 面接に来た少年にも手を出していたジャニー喜多川氏 ジャニー氏との2度目の面接で大阪グランドホテルへ 1974年5月3日、大阪・中之島のフェスティバルホールで、「フォーリーブス・郷ひろみジョイントリサイタル」が行われていた。 当時13歳だった大阪在住のK氏はその前日、ジャニー喜多川氏に大阪グランドホテルの7階のスイートルームに呼び出された。
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