気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン 山口昌男さんをお送りする、というとき、どうしても避けて通れないポイントがひとつあります。考えてみると、あれから25年が経過していた・・・あのとき、つまり、中沢新一氏の助教授採用人事をめぐって、東京大学教養学部が大きくゆれた1987-88年の﹁東大駒場騒動﹂のとき、私は学部学生として、不思議な場所からこの騒動を見ることになったのでした。不思議な場所、つまり都下府中市内・山口昌男邸の書庫から。当時の経緯、そしてその後の﹁もし﹂を含め、25年前の一学生が振り返る東大駒場騒動と大学・大学人の﹁責任﹂について、長年思ってきた事を少し記したいと思います。 府中から見た﹁東大駒場騒動﹂ 1986年の暮れ、翌年5月の学園祭で作曲家の三善晃氏との対談に出ていた