ブックマーク / sengoku-his.com (2)
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かつて札束列車﹁マニ30﹂は現金をギュウ詰めにして運びました。しかし鉄路はほかにもさまざまなものを運んできました。 都市部の屎尿処理問題 現在、東京都では下水道整備率が100%に達し、水洗トイレも完備して街中でバキュームカーを見かけることは無くなりました。地方の農山村ではまだ下水道が普及していない地域もありますが、諸外国に比べて日本の整備率は高水準と言ってよいでしょう。 しかし昭和の時代はまだまだそうは行かず、戦前はバキュームカーでさえ珍しかったのです。その頃の屎尿処理はどのように行われていたのでしょうか。 江戸時代、都市部で排出される屎尿は下肥として、時には利権争いが発生するほどの貴重な資源でした。近郊のお百姓が野菜のおまけつきで買い取りに来たり、河川を利用した屎尿運搬専門の船も運行されます。 江戸の終わりごろまではこの利用サークルが機能していたのですが、明治・大正・昭和と時代が進み、化
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本名ではなく見た目や性格などからつけられるあだ名。﹁ニックネーム﹂ならいい印象もありますが、﹁あだ名﹂というとつけられた側からするとなんだか嫌な気持ちになることもあり……。 周りの人はおもしろがっていても、本人にしてみれば悪口に感じられることのほうが多いものですよね。光秀のあだ名﹁きんかん頭﹂も決していい意味ではなかったのです。 庚申待の酒宴の席のエピソード 安土桃山時代の16世紀末ごろ︵奥書によるが、実際は江戸時代成立とされる︶に書かれた世間話集﹃義山後覚︵ぎざんこうかく︶﹄や、﹃続武者物語︵ぞくむしゃものがたり︶﹄に明智光秀のあだ名に関するエピソードが書かれています。 庚申待︵庚申︵かのえさる︶の夜、神︵猿田彦︶を祀って徹夜する行事︶の夜、信長は家臣ら数十人と酒宴の席にあって夜中まで盛り上がっていたのだが、光秀が途中厠に立ったのが目についた。信長はそれを咎めて﹁いかにきんかん頭、なぜ中
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