ブックマーク / font-da.hatenablog.jp (2)
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橋下大阪市長が、新しい仮想敵として、﹁学者﹂を設定している。﹁学者は現実を知らない﹂というのがスローガンである。学者なんてカテゴリーは、本来はあまり意味をなさない。在野の学者もいるし、運動に加わっている学者もいるし、国際政治の裏側で動いている学者もいるし、アカデミズム内の政治ばかりしている学者もいる。けれど、橋下さんは、そうした現実を捉えるわけでもなく、なんとなく世の人が抱く﹁学者は暇そうで、好きなことばかりしていて、専門バカ﹂というイメージと、それに対する怒りや反発、嫉妬をつなぎ合わせて、見事に﹁学者がダメだから世の中ダメなんだ﹂という気分を盛り立てている。 学者の側が苦しいのは、半分は本当だからである。現場のことを知らず、放言している学者は山ほどいる。私の学者に対する恨みは、橋下さんの比ではないくらい深い。だけれども、私は﹁学者が学者だから﹂問題があるのではなく、大学という制度が問題を
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國文學 2008年11月号 [雑誌] 出版社/メーカー: 学燈社発売日: 2008/10/10メディア: 雑誌購入: 1人 クリック: 21回この商品を含むブログ (15件) を見る ﹁國文学﹂が、トチ狂って﹁萌え﹂についての特集を組んだので、一応買った。﹁萌え﹂というのは単なる流行語*1にすぎないだろうし、数年後にはたぶん﹁そんなのもあったねえ﹂とか言われるのだろう。もう﹁萌え﹂の話は飽和状態だし、今回の特集もあまり期待していなかった。 ところが、意外と数本は面白い文章が載っていた。中でも、本田透﹁﹃萌え﹄の行く先――文学は敗北したのか﹂は印象に残った。本田さんは、以下のように文学史をまとめる。 吉本隆明ふうに言えば、﹁大きな物語﹂=﹁共同幻想﹂に自己の居場所を見いだせなくなった70年代後半以降の大衆は、徐々に﹁小さな物語﹂=﹁対幻想﹂の内部へと入りこんでいった。この﹁対幻想﹂の中に﹁
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