著‥ 阿波野巧也24歳の時だ。ぼくは大学院を卒業して、6年間の大学生活のうち5年間住んだ京都市左京区を離れることになった。率直にいえば心細い気持ちだった。初めての一人暮らしは退屈で、けれどいつも何かに焦っていた。おそらく世の中の多くの大学生と同じように、自分は何者かになれるはずだという根拠のない自信と、一方で自分はやはり何者にもなれないのではないかという常に後ろを追いかけてくる不安とを心に同居させながら、結局のところストレートで大学を卒業し、縁があって得た内定先へ就職することを選んだ。 就職活動をしながら、京都市に留まりたいという漠然とした気持ちを抱いていたけれど、自分の希望する職種ではそれにかなう職場をなかなか見つけられなかった。そんななかで関西の別の街に住むというのは、京都市に住むことを諦めた上での一つの抵抗だった。あの何者でもなさをぼくに感じさせ続けた街の近くに住んで、その磁場の影
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