沖縄で修学旅行をガイドする「沖縄平和ネットワーク」は、かつての戦場を背景に、体験者の証言を映像と音声で残す取り組みを進める。 それはいいことなんだが、確か私の沖縄生活での記憶だが、以前もこうした取り組みはやっていて書き起こしされていない録音テープが大量に結局破棄されたことがあったような。ああ、もったいないなと痛切に思ったことがあるので記憶に残っている。その関連だったか、誰か関連の人に書き起こしくらすればいいのにときいたのだが、若い人はウチナーグチわからんからねみたいな回答もあった。非難して言うのではないが聴き取り側も昔のウチナーグチがよくわかってないのと、聴き取りの要領を得てないようだった。 連想で思い出すのだが、私自身がなんとなくおりに触れて沖縄戦のことを聞いたときの印象だがどうも公式な答えというのと、酒席での答えが違う。前者嘘というのではないが、後者は笑いのなかにどうしようもない悲惨が
今日は沖縄本土復帰記念日だが何十周年という節目でもないせいか、大手新聞でも社説で触れるところがなかった。社説執筆者が単に失念していただけのことかもしれないし、こんなのネタにならないよ、と見なされたのかもしれない。どっちだろうか。私も、なぜかこの話題に今日触れたいとも思わないのだが、昨日の琉球新報の記事を読んでしばし天を仰いだ。 記事は”「核密約」遺書でわびる 密使として関与の故・若泉敬氏”(参照)だ。標題を見て推測がつく人も多いだろう。 著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」の中で沖縄返還交渉において、自らが佐藤栄作首相=当時=の密使として核持ち込み密約にかかわったことを告白した元京都産業大学教授・若泉敬氏(1996年死去=享年66歳)の遺書の写しがこのほど、関係者の手により明らかになった。遺書は1994年6月23日の日付で、県民と、当時の大田昌秀県知事(現参院議員)あて。この中では、核持ち込
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