人権と死に関するusi4444のブックマーク (2)
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尊厳死法制化をめぐる議論で、尊厳死を推進しようとする人たちの中から﹁既に安楽死や自殺幇助を合法化した国では、なんらおぞましいことは起こっていない﹂という発言が出ることがある。私はそうした発言に遭遇するたびに、そこでつまづき、フリーズしたまま、その先の議論についていくことができなくなってしまう。 ﹁おぞましいこと﹂は本当に起こっていないか? それとも現実に何が起こっているかを、この人は知らないのか? しかし、これだけ尊厳死法制化に積極的に関わってきたこの人が、本当に知らないということがあるだろうか? それとも現実に起こっていることを十分に承知していながら、なおかつそれらをこの人は﹁おぞましい﹂とは思わない、ということなのだろうか? ……目の前の議論から脱落し、そこに立ち尽くしたまま、私の頭はこだわり続けてしまう。 2006年の夏から、インターネットを使って介護と医療に関連する英語ニュースをチ
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note.mu ﹁安楽死﹂について、僕はやはり医者としての立場から逃れられないし、客観的に語ることは難しいのだと思います。 ただ、だからこそ、ひとりの臨床医として、あるいは、癌で親を亡くしたひとりの遺族として、考えていることを書いておきたいのです。 冒頭の幡野さんのエントリのなかでは、こう書かれています。 安楽死のことが話題になると、賛成と反対の議論に陥りがちだ。 反対する人がどんな人たちかというと、まずは医師が多い。 そしてこれはとてもに言いにくいのだけど、ぼくが肌で感じたなかで一番強く反対するのは、家族や大切な人をトラウマや後悔を抱えるかたちで、ガンなどで亡くしてしまった一部の人だ。 この両者の話を聞いて、いい批判も聞くこともたくさんあるのだけど、じつはこの反対する人たちと議論をしてもあまり意味はないのだ。 なぜなら“安楽死”という言葉を想像したとき、賛成する人は自分の命に置き換えて、
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