内田樹と安倍政権に関するusi4444のブックマーク (2)
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もうこの話をするのにも飽き飽きしている。﹁桜を見る会﹂についての話である。 どうして﹁飽き飽き﹂しているかというと、ふつうの人間の受忍限度を超えて、この話が続いているからである。 続く理由は簡単で、ふつうは申し開きのできない証拠をつきつけられて﹁申し訳ありませんでした。私がやりました﹂として﹁犯人﹂が白状して、火曜サスペンス劇場が終わるところで、ぜんぜんドラマが終わらないからである。 でも、﹁私がやりました﹂と言わないというのは、ある意味では﹁合理的な﹂ふるまいなのである。 昔、東京地検に勤めていた友人から、推理ドラマはあれは嘘っぱちだという話を聴いたことがある。検察官に供述の矛盾を衝かれて、顔面蒼白となって、﹁もはやこれまで﹂と自白するのは﹁自分が知性的な人間である﹂ということにおのれの存在根拠を置いている人間だけだというのである。 ﹁そんな人間は実はめったにいないんだよ。そんなのはね、
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︿思想家の内田樹さん︵68︶の話﹀ 令和という元号には政治的なにおいはしない。中立的な元号を選んでいただき良かった。中国古典でなく、国内最古の歌集である万葉集を典拠にしたというが、漢詩に万葉集の元となる詩があるという話がすでに中国文学者たちから指摘されている。政権は支持層の国粋主義者の意向に配慮して、中国ではなく、国書に典拠を持つ元号にこだわったが、結局、政治的効果を優先したせいで、学術的検証が十分でなかったということになった。元号そのものに罪はないが、元号という全国民が用いる文化的な制度について、特定の政治勢力に配慮して、冷静で丁寧な学術的検証が省かれたという疑念は拭えない。 問題は、政権が元号発表を政治ショー化したことだ。首相や官房長官ら現政権側が大量にメディアに露出し、お祭り気分をあおることで、政治的な難問は棚上げされた。﹁めでたい時にやぼなことを言うなよ﹂ということなのだろうが、お
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