ブックマーク / news.denfaminicogamer.jp (8)
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﹃週刊少年ジャンプ﹄の元編集長で、﹃ドラゴンボール﹄﹃ウイングマン﹄など、数多くの大ヒット作を担当編集として手がけてきた鳥嶋和彦氏。 ﹃Dr.スランプ﹄に登場する﹁Dr.マシリト﹂のモデルとしても知られる鳥嶋氏は、﹃ドラゴンクエスト﹄﹃クロノ・トリガー﹄といった人気ゲームにもさまざまな形で関わるなど、ゲーム業界との関係も深く、この電ファミニコゲーマーにもこれまで何度もご登場いただいた。 鳥嶋和彦氏 そして今回、電ファミニコゲーマーでは、鳥嶋氏を中心とした対談企画の連載がスタートする。しかも本サイト上で記事が掲載されるのに加えて、Amazonのオーディオブック﹁Audible﹂で対談時の実際の音声が配信されるという、二段構えの豪華な企画となっている。 この企画の内容は、﹃ジャンプ﹄のライバルである少年週刊漫画誌をはじめ、各出版社で活躍した漫画編集者をお迎えして、人気作が誕生した過程や漫画編集
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1980年生まれ35歳の僕の初手は﹁ゲーム&ウォッチ﹂シリーズの﹃オクトパス﹄で、﹁ひたすらタコの足をよけ続けるだけ﹂っていう今思えば﹁これ、何が面白かったんだろう?﹂っていうゲームなのですが、確か病院の待ち時間に僕が泣きわめくから親が渋々買ってくれたような記憶がある。 画像はwikipediaより そしてファミコンの登場。僕が小学生になったくらいの時に、自宅の床にゴロゴロ転がりながらギャンギャン泣いて親にねだりまくり、念願のファミコンを買って貰う事に成功。そしてその後はファミコン→ゲームボーイ→スーパーファミコン→プレイステーション→プレイステーション2といった具合に王道︵※︶を歩んで来ました。 ※……王道パターンとは逆に、ワンダースワン、3DO、ネオジオCD、セガサターンといったいわゆる﹁負けハード﹂ばかりを購入していた友人の浦部くんは﹁浦部が買ったハードは負ける﹂というジンクスで﹁疫
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黎明期のゲーム業界には、まるで神話のようなエピソードがいくつも転がっている。その一つが、﹃大戦略﹄誕生にまつわる秘話である。 一人の無名の青年がある日、とあるソフトハウスにシミュレーション・ウォーゲームを持ち込んできた。その斬新な内容に驚いたソフトハウスがすぐに契約を結ぶと、瞬く間にそのゲームは大ヒットシリーズになり、そのソフトハウスには巨万の富がもたらされた。また、そのゲームは後に数々のフォロワーを生み落とした。﹃ファイアーエムブレム﹄などの我々のよく知る名作ゲームは、このゲームの子供たちにほかならない。 その青年が手にしていたゲームは﹃大戦略﹄。 (C)2016 SystemSoft Alpha Corporation 20世紀の後半、パソコンや家庭用ゲーム機で作り出された数多くのタイトルによって、コンピューター・ウォーゲームは一大ジャンルが築かれるに至った。しかし、日本でのコンピュー
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︻全文公開︼伝説の漫画編集者マシリトはゲーム業界でも偉人だった! 鳥嶋和彦が語る﹁DQ﹂﹁FF﹂﹁クロノ・トリガー﹂誕生秘話 鳥山明の名作漫画﹃Dr.スランプ﹄に、則巻千兵衛博士のライバルとしてアラレたちに立ちはだかるDr.マシリトなるキャラがいたのを皆さんは、覚えているだろうか。 このキャラのモデルになった人物こそが、今回インタビューする白泉社代表取締役社長・鳥嶋和彦氏にほかならない。 彼の編集者人生は数々の伝説に彩られている。新人賞にかすりもしなかった新人漫画家・鳥山明を一から育て上げ、何百枚にも及ぶボツ原稿を出したあげくに、﹃Dr.スランプ﹄や﹃ドラゴンボール﹄などの名作をタッグで世に送り出したこと。鳥山明のみならず多くの漫画家にネタにされてきた、その“悪魔のような”強烈なキャラクター。そして90年代後半、週刊少年マガジンにジャンプが追い越された﹁暗黒期﹂に編集長として呼び戻され辣腕
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日本のコーエーテクモゲームス︵当時 光栄︶が初の歴史シミュレーションゲーム﹃川中島の合戦﹄を発売したのはいつか? ――正解は、1981年である。 そのときには、まだパソコンでゲームをする文化自体が相当にマイナーな楽しみに過ぎなかった。有名なパソコン版の﹃シヴィライゼーション﹄が発売されたのでさえ、ずっと後のことである。しかし、そのゲームは、紡績業を営んでいた光栄という会社が大きく業態を変えていく転換点になるほどの話題を日本で獲得した。 その2年後、彼らは﹃信長の野望﹄という大人気歴史シミュレーションゲームを生み出した。コーエーテクモホールディングス社長・襟川陽一氏ことシブサワ・コウは、それをRPGや司馬遼太郎の小説をヒントに作り上げたという。我々の遊んできたこうした﹃信長の野望﹄などの歴史シミュレーションゲームは、実はコンピュータゲーム史にほとんど忽然と登場したゲームに近い。 ﹃ファミコン
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過去の名作ゲームの企画書を見せてもらい開発秘話を聞くシリーズ﹁ゲームの企画書﹂。連載3回目となる今回は、﹁不思議のダンジョン﹂シリーズを手がけてきた、スパイク・チュンソフトの中村光一会長とディレクターである長畑成一郎氏に話を聞いた。 ﹁1000回遊べるRPG﹂という衝撃的なキャッチフレーズで登場した﹃トルネコの大冒険 不思議のダンジョン﹄から、20年の時が経った。 (C)Spike Chunsoft Co., Ltd.ALL Rights Reserved. パソコンゲームの名作﹃ローグ﹄のシステムを換骨奪胎し、親しみやすいキャラクターで﹃ドラクエ﹄ファンにアピールすることに成功した本シリーズは、現在も多くのファンを魅了し続けている。 そんな本シリーズのインタビューだが、スパイク・チュンソフトの中村光一会長にインタビューをお願いすると、﹁ぜひ本シリーズ開発者の長畑氏を同席させてほしい﹂との
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過去の名作ゲームの企画書を見てもらいながら開発秘話を聞くシリーズ﹁ゲームの企画書﹂。連載2回めとなる今回は、人気シリーズ﹃桃太郎電鉄﹄を長期にわたって手がけてきた、さくまあきら氏に﹃桃鉄﹄誕生秘話を聞いた。 ﹃桃鉄﹄といえば、放課後に友達の家に集まって遊んだり、あるいは大学時代にサークルの部室で遊んだり、という記憶が誰しもあるような、”国民的ゲーム”の一つ。しかし、そのゲームデザインについて真剣に語られることは、あまりにも少ない。 ボードゲームに鉄道の要素を盛り込んだシステムが人気を博した﹃桃鉄﹄は、シリーズ累計売上1,500万本を超える。第1作目﹃桃太郎電鉄﹄が1988年に登場して以来、携帯アプリ・ボードゲームも含め、39ものタイトルを展開してきた。画像は2008年発売の﹃桃太郎電鉄20周年﹄。 一方で、制作者のさくまあきら氏は、﹃ドラゴンクエスト﹄の堀井雄二氏や﹃俺の屍を越えてゆけ﹄の
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﹁ゼビウス﹂がなければ﹁ポケモン﹂は生まれなかった!?———遠藤雅伸、田尻智、杉森建がその魅力を鼎談。ゲームの歴史を紐解く連載シリーズ﹁ゲームの企画書﹂第一回 ﹁ファミリーコンピュータ﹂が発売されてから30年以上、﹃スペースインベーダー﹄から数えると、いわゆるコンピュータゲーム市場なるものが産業として産声を上げてから、実に35年以上の月日が経過している。 一時期は、文字通り世界を席巻した日本のゲーム産業。しかし、スマートフォンの台頭や、あらゆる分野がグローバル化の波に飲み込まれるなかで、﹁日本のゲーム﹂も、徐々にその影響力を低下させつつあるのは、今さら指摘するまでもない。 大規模化、高度化するゲーム開発環境に、次々と台頭する新興ゲームメーカー。そんな中にあって、日本のゲーム産業の進むべき道、取るべきポジションはどのようなものになっていくのだろうか。 この連載﹁ゲームの企画書﹂は、ゲーム史に
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