東日本大震災から3年が経とうとする今、改めて被災地の声を記録にとめよう、という試みが各地でなされています。人々が過去に学ぶためには、記録を残すことは﹁必要条件﹂です。しかし記録は学びのための﹁十分条件﹂ではありません。 ﹁・・・ある現実的な体験は、体験として固執する限り、どのような普遍性ももたないし、どのような歴史的教訓も含まない。ただ、かれの﹃個﹄にとって必然的な意味をもつだけである。この体験の即自性を、一つの対自性に転化できない思想は、ただおれは﹃戦争は嫌いだ﹄とか﹃平和が好きだ﹄という情念を語っているだけで、どんな力をももちえないものである・・・﹂ これは第2次世界大戦の体験について吉本隆明が述べた言葉ですが、﹁戦争﹂を﹁災害﹂に置き換えれば、そのまま東日本大震災の体験に当てはまります。 では東日本大震災の体験が﹁対自性﹂を持つために、私たちはどのようなことができるのでしょうか。私は
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