直木賞作家の熊谷達也さんが月刊文芸誌「小説すばる」(集英社)に発表した小説に、アフガニスタンなどの紛争地取材で活躍するフォトジャーナリスト、長倉洋海さんの著書から表現などを無断で使用していたことが15日、分かった。同誌4月号に経緯と「お詫び」が掲載された。 同誌などによると、熊谷さんは同誌昨年12月号に「聖戦士の谷」を発表。これについて、長倉さんから「自著に依拠して表現を無断使用している個所が複数あり、見逃せない」などと抗議を受けた。編集部で精査し、熊谷さんとも協議した結果、著作権侵害に当たる可能性が高いと判断、連載打ち切りを決めた。同誌4月号に熊谷さんと編集部の連名で、1ページの「連載中止の経緯とお詫び」を掲載した。 このなかで熊谷さんは「深く反省し、二度とこのようなことを起こさない」、編集部は「確認作業が至らなかったことを反省し、再び起こらないように注意する」としている。
大東亜戦争末期沖縄での集団自決の実態再検証に世論の関心が高まっている。大江健三郎『沖縄ノート』(岩波新書)の真偽を巡って係争中の裁判の報道もあった。その中に、えっと思う記述があったので『沖縄ノート』を読んでみた。 第九章にこうある。 沖縄住民に集団自決を強制した(と大江が断じている)元守備隊長は一九七〇年春、慰霊祭に出席すべく沖縄に赴いた。それは「二十五年ぶりの屠殺(とさつ)者と生き残りの犠牲者の再会」であった。 自決強制の有無の検証は私の任ではない。私が驚いたのは虐殺者(大江の見解での)を屠殺者になぞらえていることだ。 これ、いつから解禁になったのか。虐殺を屠殺になぞらえようものなら許すべからざる差別表現として部落解放同盟と屠場労組の苛烈(かれつ)な糾弾が展開されたことは言論人なら誰知らぬ者はない。 一九八二年、俳優座のブレヒト原作『屠殺場の聖ヨハンナ』は改題してもなお激しい糾弾に遭い上
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