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- 同じ年に死んだ二人@日帝的鬼子 - この本の意義は体験談をすぐに刊行したこと。後知恵で記憶を再編成するところがない。もっとも、後知恵ならぬ﹁親中﹂知恵で中国の否定的側面をわざと無視したり、あまつさえ、中国を礼賛するようなことが問題だろう。事実、この頃、そういう中国礼賛本が多数あったらしい。典型は西園寺一晃、﹃北京の青春﹄だ︵愚記事‥﹁みんなありがとう﹂ ぼくは..。日本人最初?の紅衛兵、最後は孔子さまに到る、あるいは公望の成果︶。もうひとつはこちら‥愚記事‥針生一郎の﹁われわれにとって文化大革命とは何か﹂という文章。 その点、この本は微妙かもしれない。でも、淡々と生活を書いているように読める。繰り返すと、この本は、今から見れば、文革終焉の直前の北京の生活を記録していることになる。1966年に始まった、プロレタリア文化大革命の熱狂は1970年にはひと段落し、周恩来はその収拾に努めはじめていた。林彪が、毛沢東暗殺を企て、死んだのが1971年。なにより、毛沢東と周恩来は日米など﹁帝国主義国﹂との国交を始めた。小平も復帰した。でも、﹁四人組﹂は周恩来・小平と毛王朝のもとで双璧をなし、中国では恒常的に権力的緊張状態にあった。つまり、この﹃北京三里屯第三小学校﹄は文革後期の北京での生活を記録したもの。批林批孔運動の実際の場面の描写もある。 一九七四年二月十一日、一九七四年度の前期授業が始まった。生徒たちは、二組ずつ一室に入り校内放送をきいたというが、それがこの学期初の学校で行われた批林批孔の講話であった。 批林批孔というのは、林彪を批判し、孔子を批判することで、この運動はこの年の中国社会の動きの最も基調をなすものであった。しかし、当初は。孔子と林彪という二千年以上の年月を隔てる二人がなぜ一緒にまとめて批判されるかはなかなか理解しにくいことだった。︵中略︶二月二日﹃人民日報﹄に、﹁批林批孔の闘争を最後までおしすすめよう﹂という社説がでると、まるで堰をきったように、各種各様に論点が提出され、政治、哲学、思想のからみ合ったこの問題の難解さに、私たちは日々頭を悩ました。何が主要な論点なのか、何を目的としているのか、今後どう発展するのか。大人たちが、こんな話を繰り返していた︵後略︶。 浜口允子、﹃北京三里屯第三小学校﹄ 今となっては、批林批孔は江青が周恩来を批判するための権力闘争の一環だとされている。でも、この批林批孔が実際に始まった当時、現場では、事情がわからなかかったことが記録されている。浜口允子、﹃北京三里屯第三小学校﹄とはそういう本だ。なお、この浜口允子さんは、八宝山の革命公墓にアンナ・ルイズ・ストロングやアグネス・スメドレーの墓参のために行くひとである。中国の政治には一家言ある人なのだろう。そういう人が、批林批孔の意味が分からなかったと書いている。あるいは、とぼけていたのかもしれない。もっとも、批林批孔についての理解を、旧世界︵貧困で人民が苦労する資本主義時代︶に戻さないための運動だと、﹃北京三里屯第三小学校﹄では、まとめている。やはり、毛王朝のもとでの﹁四人組﹂と周恩来・小平との権力闘争には目配りがない。 と、野暮は話はともかく、﹃北京三里屯第三小学校﹄には北京の四季の様子が書いてある。﹁物候学﹂=植生地理学?的観点で北京の四季と植生が書いてある。とくに、知ったのが、北京の春、端的に清明節、の新緑の萌。柳絮︵りゅうじょ︶舞う、清明節。 北京の人たちが文革に嫌気がさしてきた頃、1976年1月に周恩来は死に、死者を参る清明節の4月に、天安門広場で周恩来追悼の自発的大運動が始まり、それを解散させる当局と民衆で起きたのが、1976年の天安門事件。今から見れば、文革終焉の第一歩。それにしても、昔の五四運動とか、64天安門事件とか、こういう政治蜂起は柳絮︵りゅうじょ︶舞う季節に起きると知る。 なお、おいらは、この本を最近読んだ。浜口允子さんは中国学者︵になった︶らしく、淡々とした中国研究をしているらしい︵Amazon; 浜口允子︶、wiki [浜口允子]。 中国滞在経験直後に刊行しているこの本。編集者のがんばりで書かせたのではないだろうか?おそらく、田畑佐和子ではないだろうか?とおいらは邪推している。 ﹃北京三里屯第三小学校﹄の書評ブログ記事など‥ ・TAMO2ちんの日常様 ﹁読書メモ‥﹃北京三里屯第三小学校﹄﹂ 読書 ・菅納ひろむ様 ﹁三里屯﹂に思う ■
︻いか@ 武相境斜面寓 ﹃看猫録﹄︼のアクセス・ランキング
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