「オキナワ移住地」を編集中
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== 産業 == |
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移住地は、農業と牧畜業の第一次産業が主要な産業である。1971年、第1移住地、第2移住地、第3移住地のそれぞれ別個にあった |
移住地は、農業と牧畜業の第一次産業が主要な産業である。1971年、第1移住地、第2移住地、第3移住地のそれぞれ別個にあった農業協同組合を統合し、「コロニア沖縄農牧総合協同組合」(略称:CAICO)が発足した。CAICOが中心となり、大型設備の導入が進められている。 |
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=== 農業 === |
=== 農業 === |
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移住地の主要な農作物は、入植直後に[[陸稲]]、1970年代に綿花、1980年代から[[大豆]]と推移してきた{{sfn|出稼ぎと移民|2008|p=439}}。現在でも最も作付面積が大きい作物は大豆である{{sfn|出稼ぎと移民|2008|p=439}}。1990年代に入り、大豆価格の下落と天候不順による価格低下に見舞われた{{sfn|コロニア・オキナワ入植50周年記念誌|2005|p=86}}。このため冬場の作物として[[小麦]]と[[ヒマワリ]]も導入され{{sfn|コロニア・オキナワ入植50周年記念誌|2005|p=86}}、主要作物として定着していった{{sfn|出稼ぎと移民|2008|p=439}}。その他に家畜飼料用として[[とうもろこし]]や[[モロコシ|ソルゴー]] |
移住地の主要な農作物は、入植直後に[[陸稲]]、1970年代に綿花、1980年代から[[大豆]]と推移してきた{{sfn|出稼ぎと移民|2008|p=439}}。現在でも最も作付面積が大きい作物は大豆である{{sfn|出稼ぎと移民|2008|p=439}}。1990年代に入り、大豆価格の下落と天候不順による価格低下に見舞われた{{sfn|コロニア・オキナワ入植50周年記念誌|2005|p=86}}。このため冬場の作物として[[小麦]]と[[ヒマワリ]]も導入され{{sfn|コロニア・オキナワ入植50周年記念誌|2005|p=86}}、主要作物として定着していった{{sfn|出稼ぎと移民|2008|p=439}}。その他に家畜飼料用として[[とうもろこし]]や[[モロコシ|ソルゴー]](ソルガム)も生産されている{{sfn|出稼ぎと移民|2008|p=439}}。
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[[File:Chart of harvest in Colonia Okinawa.svg|thumb|300px|オキナワ移住地の穀物収穫高の年次推移]] |
[[File:Chart of harvest in Colonia Okinawa.svg|thumb|300px|オキナワ移住地の穀物収穫高の年次推移]] |
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入植当初は、原始的な[[焼畑農業]]が行われていたが{{sfn|南米における沖縄県出身移民に関する地理学的研究|1986|p=89}}、1970年代の綿花栽培の導入時に、 |
入植当初は、原始的な[[焼畑農業]]が行われていたが{{sfn|南米における沖縄県出身移民に関する地理学的研究|1986|p=89}}、1970年代の綿花栽培の導入時に、国際協力事業団の融資などをうけて短期間に機械化が進行した{{sfn|南米における沖縄県出身移民に関する地理学的研究|1986|p=90}}。綿花栽培は、天候不順(多雨)、連作障害による農薬の多投、綿花の国際相場の下落などにより1976年から急速に減少した{{sfn|南米における沖縄県出身移民に関する地理学的研究|1986|p=90}}。移民者には多額の債務が残ったが、結果として短期間に原始的な焼畑農業から脱却をはかり、機械化された大規模農場の経営に大転換することに成功した{{sfn|南米における沖縄県出身移民に関する地理学的研究|1986|p=90}}。 |
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2002年には、ボリビア政府より「小麦の首都({{lang-es-short|La Capital Triguera de Bolivia}})」として認定された{{sfn|コロニア・オキナワ入植50周年記念誌|2005|p=92}}。これは、ボリビアの熱帯地方での小麦栽培発祥の地として評価されたものである{{sfn|コロニア・オキナワ入植50周年記念誌|2005|p=92}}。 |
2002年には、ボリビア政府より「小麦の首都({{lang-es-short|La Capital Triguera de Bolivia}})」として認定された{{sfn|コロニア・オキナワ入植50周年記念誌|2005|p=92}}。これは、ボリビアの熱帯地方での小麦栽培発祥の地として評価されたものである{{sfn|コロニア・オキナワ入植50周年記念誌|2005|p=92}}。 |
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移住地ではCAICOを中心とし、農作物を加工し付加価値のある加工品製造にも乗り出している。 |
移住地ではCAICOを中心とし、農作物を加工し付加価値のある加工品製造にも乗り出している。 |
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米の販路拡大を目指して、2005年にCAICO直営の精米所が落成した{{sfn|出稼ぎと移民|2008|p=440}}。2006年には、第2移住地に乳製品の加工工場を建設した{{sfn|出稼ぎと移民|2008|p=440}}。2011年には、ショートパスタの加工工場を建設した。イタリア製のパスタ製造機を導入し、「FIDEOS Okinawa」として販売をはじめた。 |
米の販路拡大を目指して、2005年にCAICO直営の精米所が落成した{{sfn|出稼ぎと移民|2008|p=440}}。2006年には、第2移住地に乳製品の加工工場を建設した{{sfn|出稼ぎと移民|2008|p=440}}。[[2011年]]には、ショートパスタの加工工場を建設した。イタリア製のパスタ製造機を導入し、「FIDEOS Okinawa」として販売をはじめた。 |
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== 移民の背景 == |
== 移民の背景 == |