「オキナワ移住地」の版間の差分
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無断に他人の土地を占拠し、そこで地代も税も支払わずに生活を営む者が現ることを﹁土地進入﹂と呼び、人口稀薄な中南米諸国で極めて多いとされる<ref name="若槻、発展途上国への移住の研究pp=677">{{harvtxt|若槻、発展途上国への移住の研究|1987|pp=677}}</ref>。オキナワ移住地の場合、土地進入は重大な問題であった<ref name="若槻、発展途上国への移住の研究pp=679"/>。移住地はサンタ・クルス市に近く比較的交通の便が良いため、1963年には早くも土地進入問題が発生した<ref name="若槻、発展途上国への移住の研究pp=679"/><ref name="ボリビア・コロニア沖縄入植25周年誌pp=135">{{Harvtxt|ボリビア・コロニア沖縄入植25周年誌|1980|pp=135}}</ref>。 ﹃25周年記念誌﹄によると、第3移住地にはUSAIDの資金によって井戸掘削や道路整備のために雇ったボリビア人がそのまま居座る﹁土地進入﹂ ボリビア革命時の農地改革以後に取得した土地であっても、自ら耕作せず3年以上放置した土地の所有権は消失し、その土地は国家に帰属するものという法令が公布されている<ref name="若槻、発展途上国への移住の研究pp=678">{{harvtxt|若槻、発展途上国への移住の研究|1987|pp=678}}</ref>。移民者側は3年以内に開墾するためには多額の資金が必要であり簡単なことではなかった<ref name="ボリビア移民聞書pp=154">{{Harvtxt|ボリビア移民聞書|1986|pp=154}}</ref>。また、沖縄の経済発展により後継移民が居なくなったことも未開拓地が残った理由であった<ref name="ボリビア・コロニア沖縄入植25周年誌pp=136"/>。 |