クリストファー・ヒル
アメリカ合衆国の外交官
クリストファー・ロバート・ヒル(Christopher Robert Hill、1952年 - )はアメリカ合衆国の外交官である。2005年より2009年まで東アジア・太平洋担当国務次官補・北朝鮮核問題をめぐる六者会合のアメリカ首席代表を務めた。
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a5/2006_0922_chris_hill.jpg/220px-2006_0922_chris_hill.jpg)
来歴
ボードイン・カレッジで経済学士、1994年に米国海軍軍事学校で修士号取得。既婚で、3人の子供を持つ。
外交官としては、当初東ヨーロッパやバルカン半島などを担当し、後に大韓民国大使となった。1996年から1999年まで駐マケドニア共和国大使、2000年から2004年まで駐ポーランド大使を務めた。ヨーロッパ諸言語に通じているといわれる[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を﹁date=yyyy年m月﹂形式で記入してください。間違えて﹁date=﹂を﹁data=﹂等と記入していないかも確認してください。
[1]。
2005年4月8日に東アジア・太平洋担当国務次官補に就任。2009年4月21日に退任した。同年4月、米上院は駐イラク大使に充てる人事を可決し、フセイン政権崩壊後の四人目の駐イラク大使となっが、アラビア語も話さず、中東地域の専門家でもないヒル氏が任命されるのは異例であり、北朝鮮との交渉で多くの譲歩を重ねた事から、共和党のジョン・マケイン上院議員らは反対票を投じた。
2010年5月15日には近く外交官を引退する意向であると報じられた[2]。
外交
ボストン・レッドソックスファン
ヒルはアメリカメジャーリーグチームのボストン・レッドソックスの大ファンである。
2006年12月13日、アメリカ合衆国国務省での北朝鮮核問題をめぐる六者会合に関する記者会見でヒルは、﹁ところで、今日のマツザカの交渉はどうなったかな。ボストンに向かっているのか?﹂と突然切り出した。話が脱線していると記者団が釘を刺すと﹁いや、申し訳ない。でも実に大事な話なんだ﹂と弁明。球団幹部らとの交渉後、松坂大輔投手がボストンに向かったことを知ると、﹁そうか、マツザカはボストンに来るのか!どうもありがとう。大変なクリスマスプレゼントだ。これでクリスマスに北京に行く事も苦にならない。﹂と話し、六者会合の長期化を気にかける記者団をからかった。︵ヒルの発言は全て要約︶
また、六者会合最終準備のため2006年12月16日に来日した際、成田空港に西武ライオンズの帽子をかぶって降り立っている。
2007年6月20日には東京ヤクルトスワローズ-西武ライオンズの交流戦を観戦に明治神宮野球場を訪れ、レフトスタンドに陣取って観戦する姿が目撃された。
脚注
(一)^ http://www.state.gov/r/pa/ei/biog/44553.htm - ポーランド語、セルビア・クロアチア語、とマケドニア語を話すとある。
(二)^ “6か国前首席代表のヒル大使、外交官引退へ”. YOMIURI ONLINE (読売新聞). (2010年5月15日) 2010年5月16日閲覧。
(三)^ http://english.chosun.com/w21data/html/news/200805/200805270019.html
外部リンク
- United States Department of State - Biograohy of Christopher R. Hill - 国務省ウェブサイトによる紹介
公職 | ||
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先代 - |
在マケドニアアメリカ合衆国特命全権大使 1996年7月29日 - 1999年8月2日 |
次代 マイケル・アイニック |
先代 ダニエル・フリード |
在ポーランドアメリカ合衆国特命全権大使 2000年7月27日 - 2004年4月14日 |
次代 ヴィクター・ヘンダーソン・アッシュ |
先代 トマス・ハバード |
在韓国アメリカ合衆国特命全権大使 2004年9月1日 - 2005年4月12日 |
次代 アレクサンダー・バーシュボウ |
先代 ジェイムズ・アンドリュー・ケリー |
アメリカ合衆国東アジア・太平洋担当国務次官補 第22代:2005年4月8日 - 2009年4月21日 |
次代 カート・キャンベル |