チェーザレ・ベッカリーア
イタリアの法学者、経済学者
人物 編集
ミラノの侯爵の家柄に生まれる。パルマのイエズス会寄宿学校に学んだ。そのころは数学と人間科学が彼の関心を占めていた。1762年︿ミラノ国の貨幣の混乱とその治癒策について﹀という論考をルッカで出版し、著作家として頭角を現す。次いで友人たちと協力して﹃カフェ﹄と題する定期刊行物を編集し、イギリスの読者の注目を引くことができた。1768年からミラノ大学の法学と経済学教授となり、講義中にアダム・スミス、マルサスの経済理論に近い見解を示した。1790年にロンバルディアの民法・刑法改正委員会に所属する。
行政官としては穀物租税・貨幣改革・重量と尺度・人口表などについて報告し意見を提出している。二ヶ月で完成させた著﹃犯罪と刑罰﹄Dei delitti e delle pene ︵1764年︶で拷問と死刑への反対論を主張し、教育により犯罪を防止すべきであると説き、ヴォルテールやロシア皇帝エカチェリーナ2世などに賞賛されている。社会政策の思想ではモンテスキューの流れを受け、ベンサムに影響を与えたと考えられる。哲学的な言語論と文体論である︽Ricerce intorno alla natura dello stile、1770年︾も有名。
日本における受容 編集
﹃犯罪と刑罰﹄の最初の完全な邦訳は1929年に風早八十二の訳によって出版された。経済学の著書では﹃公共経済学の諸要素 Elementi di Economia Pubblica﹄︵1806年︶が1997年に邦訳されている。関連項目 編集
外部リンク 編集
- Cesare Beccaria (英語) - インターネット哲学百科事典「チェーザレ・ベッカリーア」の項目。