フランシス・ジャム
フランシス・ジャム︵Francis Jammes、1868年12月2日 - 1938年11月1日︶は、フランスの叙情詩人、小説家、劇作家。素朴な易しい言葉で、山野・生物、少女、信仰などをうたった。﹁詩のドゥアニエ・ルソー﹂と称された[1]。
フランシス・ジャム (Francis Jammes) | |
---|---|
フランシス・ジャム(1917年) | |
誕生 |
1868年12月2日 フランス、トゥルネ(Tournay)(オクシタニー地域圏、オート=ピレネー県) |
死没 |
1938年11月1日) フランス、アスパラン(ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏、ピレネー=アトランティック県) |
職業 | 詩人、小説家、劇作家 |
活動期間 | 1891年 - 1938年 |
代表作 |
『明けの鐘から夕べの鐘まで』 『少女たち』 『野うさぎ物語』 |
主な受賞歴 |
レジョンドヌール勲章を辞退 アカデミー・フランセーズ文学大賞 |
デビュー作 | 『6つのソネット』 |
署名 | |
ウィキポータル 文学 |
生涯
編集
スペインと接するオート=ピレネー県のトゥルネ︵Tournay︶に生まれた。1876年、父がピレネー=アトランティック県サン=パレの登記所収税役に任命されたため、同地に越した[2]。父が転勤を重ね、フランシスはポー、次いでボルドーのリセに入ったが、散策や採集を好んで、学業には身を入れなかった。
1888年︵20歳︶、大学入学資格試験に失敗し[2]、文学への傾斜を深めた。同年父が没し、母と姉と、フランス南西端ピレネー=アトランティック県のオルテズに移った[2]。父祖代々の地であった。翌年公証人事務所に勤めてやめ、詩作に打ち込み、1891年の﹃6つのソネット﹄を皮切りに詩集を出し、それらがステファヌ・マラルメやアンドレ・ジッドに認められた[3]。
1895年︵27歳︶、ジッドがジャムの詩﹁ある日﹂を﹃メルキュール・ド・フランス﹄に発表[3]。初めてパリに遊びはしたが、オルテズを好み、その山野・鳥獣・草花、そして少女らを愛し続けた。1896年、ジッド夫妻の北アフリカ旅行に合流した。1897年、文芸誌上に、自らの文学姿勢のマニフェスト﹃ジャミスム宣言﹄を載せた。
初期の詩の朴訥なうたいぶりは、清新だ衒いだと褒貶が割れたが、力強さを加えた1898年の﹃明けの鐘から夕べの鐘まで﹄で、世評が定まった。
1900年、ポール・クローデルを知り、カトリックの信仰を固め、1905年、聖地ルルドへの巡礼に、クローデルと連れ立った。
この前後、少女に恋しては破れ、また、﹃クララ・デレブーズ﹄︵1899年︶、﹃アルマイード・デトルモン﹄︵1901年︶、﹃ポム・ダニス﹄︵1904年︶など、﹁少女もの﹂を書いた。
1907年︵39歳︶、カトリックの女性、ジュヌヴィエーヴ・ゲドルプ︵Geneviève Goedorp︶と結婚した。1912年、オルテーズ教区の参事会員となり、1914年の第一次世界大戦開戦のときは、オルテーズの野戦病院を管理した。1921年、バス=ピレネー県︵現在のピレネー=アトランティック県︶のアスパラン︵Hasparren︶へ移った。1922年、レジオンドヌール勲章の授与を辞退した。1917年に作家の全作品に対して贈られるアカデミー・フランセーズ文学大賞を受賞した。アカデミー・フランセーズ会員には何度か立候補したが選出されなかった。
その後も活発な文筆活動をしたが、1938年︵70歳︶アスパランの自宅で没した。村の墓地に小さな十字架が立てられた。
著作
編集訳書
編集単行本
編集
初邦訳は1925年。/ 印で新版・改版を記載。
●堀口大學訳 ﹃フランシス・ジヤム詩抄﹄、第一書房︵1928︶/﹃ジャム詩集﹄、新潮文庫︵1951、復刊1994︶ISBN 9784102500613
●三好達治訳 ﹃夜の歌 散文詩﹄、野田書房︵1936︶/岩波文庫︵1938、復刊2004ほか︶ISBN 9784003255711/新潮文庫︵1951︶/人文書院︵1976︶ISBN 9784409130094
●市原豊太訳 ﹃三人の乙女﹄、右文書院︵1941︶/角川文庫︵1951︶/人文書院︵改訳 1977︶
●市原豊太訳 ﹃クララ・デレブウズ 青春の書﹄、鎌倉文庫︵1947︶、抜粋版
●田辺保訳 ﹃パラダイス ジャム短篇集﹄、第三書房︵1964︶
●尾崎喜八訳 ﹃ジャム詩集 新訳﹄、彌生書房 世界の詩︵1965、新版1980︶
●倉田清訳 ﹃ジャム詩集﹄、三笠書房 世界の名詩集9︵1967︶/朝日出版社︵1980︶、改訂版︵1998︶ISBN 9784255980065
●安東次男訳 ﹃野うさぎ物語﹄、角川文庫︵復刊1989︶ISBN 9784042036012
●大岡信訳 ﹃ジャム詩集﹄、河出書房 ポケット版・世界の詩人︵1968︶
●田辺保訳 ﹃ジャム詩集﹄、旺文社文庫︵1969︶
●田辺保訳 ﹃三人の少女﹄、旺文社文庫︵1979︶/旺文社 必読名作シリーズ、︵1990︶ISBN 9784010670194
●田辺保訳 ﹃星がひとつほしいとの祈り﹄、サンリオ︵1977︶
●猿渡重達訳 ﹃放蕩息子の火 フランシス・ジャム詩集﹄、沖積舎︵1980︶
●猿渡重達訳 ﹃野兎物語﹄、まほろば書房︵1985︶ISBN 9784943974017/新装版︵2011︶
●手塚伸一訳 ﹃メモワール﹄、青土社︵1985︶
●手塚伸一訳 ﹃フランシス・ジャム全詩集﹄、青土社︵1992︶ISBN 9784791790845
●手塚伸一編訳﹃フランシス・ジャム詩集﹄、岩波文庫︵2012︶
●手塚伸一編訳 ﹃桜草の喪・空の晴れ間﹄[4]、平凡社 ライブラリー︵1994︶ ISBN 9784582760446
●手塚伸一訳 ﹃三人の乙女たち フランシス・ジャム散文選﹄、青土社︵2000︶ISBN 9784791757961
●﹃三人の乙女たち﹄、岩波文庫︵2012︶
全集
編集- 『フランシス・ジャム全集』全3巻、青土社(1981)
- 第1巻、大岡信ほか訳『明けの鐘から夕べの鐘まで』、手塚伸一訳『桜草の喪』
- 第2巻、田辺保訳『空の晴れ間 ― 神のうちに』、『木の葉をまとった教会』、手塚伸一訳『悲しみの歌』、倉田清訳『さまざまな詩』、『ロザリオの祈り』、堀口大學訳『ルウルド霊験由来』、三好達治訳:『夜の歌』
- 第3巻、田辺保訳『少女たち』、安東次男訳『野うさぎ物語』、手塚伸一訳『二つの結婚のための鐘』
脚注
編集
(一)^ “Francis Jammes” (フランス語). www.larousse.fr. Éditions Larousse - Encyclopédie Larousse en ligne. 2019年12月9日閲覧。
(二)^ abc田辺保︵邦訳︶. “フランシス・ジャム (1868-1938) の生涯と作品”. www.francis-jammes.com. Site de l'Association Francis Jammes. 2019年12月9日閲覧。
(三)^ abAntoine Compagnon. “FRANCIS JAMMES” (フランス語). Encyclopædia Universalis. 2019年12月9日閲覧。
(四)^ 元版は﹃世界名詩集18ジャム クローデル﹄平凡社︵1969︶
参考資料
編集- 「フランシス・ジャム全集第3巻」の巻末の、田辺保編:『年譜』
- 「三好達治訳、散文詩 夜の歌、岩波文庫」の巻末の、三好達治:『あとがき』
- 「新潮世界文学辞典 増補改訂版、新潮社(1990)ISBN 9784107302090」の中の、市原豊太:『フランシス・ジャム』
- 「集英社世界文学辞典、集英社(1992)ISBN 9784081430079」の中の、手塚伸一:『フランシス・ジャム』
関連項目
編集- ベルナデッタ・スビルー
- モーリス・ジュヌヴォワ(1890 - 1980年):フランスの作家。ロジェ・グルニエがフランシス・ジャムとともに、自然を愛しているがあくまでもハンターであり、動物の血を流すことを認めている作家として挙げた。[1]
外部リンク
編集- ^ 『ユリシーズの涙』みすず書房、2000年。