上田馬之助
上田 馬之助︵うえだ うまのすけ、1834年︵天保5年︶ - 1891年︵明治24年︶4月1日︶は、幕末・明治期の剣術家。遠江国浜松藩出身。別名、上田馬之丞、上原馬之介、植原右馬之助。
新選組隊士の上田馬之助は同姓同名の別人である。
鏡新明智流剣術の桃井春蔵の高弟で、幕末江戸三大道場のひとつである士学館で修業し、﹁桃井門下の四天王﹂の一人に数えられた。
慶応元年9月3日︵1865年︶、新両替町の料亭で天童藩師範役の中川俊造︵中島一郎︶と伊藤慎蔵を斬って名をあげた。
明治維新後には警視庁撃剣世話掛となった。1875年︵明治8年︶3月25日、榊原鍵吉と兜割試合を行なうも兜を切り割れず敗北している。
竹刀で木の板を貫通させることができ、実演してみせることもあったという。
上田馬之助を扱った作品
- 斬ってはみたが(司馬遼太郎)