189761 - 19561115

青年時代

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20[1] 1920西1923退28

図書館との出会い

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中田と図書館との本格的な関わりは1926年社会教育の部門にいた中田が、社会教育に携わる立場から読書の重要性と図書館のあり方を提示した論文『讀書の内面的意義を省みて圖書館關係者の任務をおもう』を県立図書館月報に寄せたところに始まる。これが注目されて1927年に県立図書館長事務取扱に任じられた。中田はこの年に石川県図書館協会を設立して自ら会長に就任し、続いて「読書学級」構想を立ち上げる。これは人間は読書を精神的な生活の糧と位置付け、読書を通じて自己教育を行う必要性を唱え、その第一歩として向学心を持ちながら農村や工場で働かざるを得ない青少年(義務教育を終えた未成年者)対象に3年間で終了する「読書学級」を開いて、読書後に読書日録(読書日記)を書かせてそれを基に読書指導を行う構想であった。そのために市町村の図書館と協力して各地に青少年文庫を設置して「読書学級」の組織化を図った。中田が正式に石川県立図書館長に就任した1931年以後にこの構想の具体化が進み、同年2月から石川郡を中心とした6ヶ所計120名で「読書学級」が開始され、1934年9月には羽咋郡高浜町の町立図書館に最初の青少年文庫が設置され、以後県内各地の市町村の図書館に青少年文庫の設置が開始された。中田の活動の結果、県下30ヶ所に青少年文庫が設立され、2千人の若者が「読書学級」・青少年文庫に参加するようになった。また、読書学級卒業者の中には卒業後には補助員として読書指導を助ける側に回る者も現れた。また、児童図書のあり方についても研究し、「小学6年生児童に1年間にどのような図書をどれだけ与えるべきか」等といった課題を提示してそのための企画・図書の選定を策定している。1933年にはこれまでの経験を基にした著書『公共図書館の使命』を刊行している。

図書館附帯施設論争

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19331219341稿1224

193125調1937調沿




上京

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1939便19403351707


日比谷図書館と蔵書疎開

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1943西西

71727194552511便209,040調73104414西27121112338,663102,18840西


戦後

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1949113930退

姿姿

1947125195019941957

FIEL59

脚注

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  1. ^ 第八高等学校一覧 第13年度 自大正9年至大正10年』第八高等学校、1920年、253頁。 

参考文献

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2007 ISBN 9784816920233

    1984

1998ISBN 978-4-7974-0590-3

 2004 ISBN 9784760124893

  1993 ISBN 9784820493198