「八ヶ岳」を編集中
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八ヶ岳には﹁[[富士山]]と背比べをして勝利したものの、富士山に蹴り飛ばされて八つの峰になった﹂という[[神話]]がある︵﹁蹴り飛ばされた﹂の部分はその他にも説がある。例えば、背比べの際に用いた筒、すなわち富士山と八ヶ岳との間にかけて水を流し、どちらに流れるかを調べるのに用いた筒を持って富士山が八ヶ岳を叩いたなど︶。また、同神話では[[蓼科山]]は八ヶ岳の妹で、八つの峰になった八ヶ岳を見て泣いて、それが川になり溜まったのが[[諏訪湖]]とされている。
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八ヶ岳には﹁[[富士山]]と背比べをして勝利したものの、富士山に蹴り飛ばされて八つの峰になった﹂という[[神話]]がある︵﹁蹴り飛ばされた﹂の部分はその他にも説がある。例えば、背比べの際に用いた筒、すなわち富士山と八ヶ岳との間にかけて水を流し、どちらに流れるかを調べるのに用いた筒を持って富士山が八ヶ岳を叩いたなど︶。また、同神話では[[蓼科山]]は八ヶ岳の妹で、八つの峰になった八ヶ岳を見て泣いて、それが川になり溜まったのが[[諏訪湖]]とされている。
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ところで、八ヶ岳の最高峰の[[赤岳 (八ヶ岳山系)|赤岳]]は[[国常立命]]の山だとされる。山麓の長野県[[茅野市]]には赤岳神社里宮が鎮座し、赤岳[[講]]の信仰も根強い。なお、神代の頃、八ヶ岳の名をつける時、峰が七つしかなかった。そこで東方の山を一つもらい、八つの峰にした。この山を[[茂来山]]︵もらいさん︶という<ref>{{Citation |和書 |title=佐久口碑伝説集 南佐久編 |date=1978-11-15 |editor=佐久教育会歴史委員会 |publisher=佐久教育会 |page=323 }}</ref>。
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ところで、八ヶ岳の最高峰の[[赤岳 (八ヶ岳山系)|赤岳]]は[[国常立命]]の山だとされる。山麓の長野県[[茅野市]]には赤岳神社里宮が鎮座し、赤岳[[講]]の信仰も根強い。なお、神代の頃、八ヶ岳の名をつける時、峰が七つしかなかった。そこで東方の山を一つもらい、八つの峰にした。この山を[[茂来山]]︵もらいさん︶という<ref>{{Citation |和書 |title=佐久口碑伝説集 南佐久編 |date=1978-11-15 |editor=佐久教育会歴史委員会 |publisher=佐久教育会 |page=323 }}</ref>。
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一方、八ヶ岳には神話や、[[修験道]]等に由来する[[祠|石祠]]や[[石碑]]などが多い。このような神話から、かつて八ヶ岳は富士山より高い1つの山であって、噴火で頂上部が[[山体崩壊]]したという風説︵実際、[[第四紀]]火山としての古阿弥陀岳が崩壊し、韮崎岩屑流が発生している︶が太古から現在に至るまで存在しているが、現在は複数の火山の集合体である。
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一方、八ヶ岳には神話や、[[修験道]]等に由来する[[祠|石祠]]や[[石碑]]などが多い。このような神話から、かつて八ヶ岳は富士山より高い1つの山であって、噴火で頂上部が[[山体崩壊]]したという風説︵実際、[[第四紀]]火山としての古阿弥陀岳が崩壊し、韮崎岩屑流が発生している︶が太古から現在に至るまで存在しているが、現在は複数の火山の集合体である。と思う
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*赤岳頂上の石碑。[[第二次世界大戦]]前は国常立命像があった。 |
*赤岳頂上の石碑。[[第二次世界大戦]]前は国常立命像があった。 |
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*奥三ツ頭の石宮、[[講中]]碑、[[地蔵]]、[[不動]]碑、舟形碑 |
*奥三ツ頭の石宮、[[講中]]碑、[[地蔵]]、[[不動]]碑、舟形碑 |