八ヶ岳
八ヶ岳連峰のうち、夏沢峠以南
八ヶ岳の領域の定義は幾つか説があり、場合により使い分けられる。
八ヶ岳 | |
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北横岳から望む南八ヶ岳 (2007年(平成19年)6月撮影) | |
所在地 | 長野県・山梨県 |
最高峰 | 赤岳(2,899 m) |
延長 | 30 km |
プロジェクト 山 |
概要
赤岳を最高峰に横岳などで構成。その山容は、夏沢鉱泉と本沢温泉を結ぶ夏沢峠を境界として、北八ヶ岳と南八ヶ岳に大きく分けられる。北八ヶ岳は、樹林帯が山稜近くまで続き、また比較的なだらかな峰が多く、湖沼も点在する。一方、南八ヶ岳は、主峰の赤岳をはじめ、横岳・硫黄岳・阿弥陀岳の鋭い峰々や、横岳西面の大同心・小同心に代表される岩峰群などがあり、急峻な地形となっている。このため、日本有数のロック・クライミングの岩場があることとして知られ、また冬場は氷瀑のアイス・クライミングでも知られる岩稜が中心となっている。このように、南北の山容は対照的である。狭義では南八ヶ岳のみを言うことがある。日本百名山の八ヶ岳はこの狭義の山域を指す。八ヶ岳連峰では他に蓼科山も日本百名山に選ばれている。
これらのほとんどのエリアが、八ヶ岳中信高原国定公園に指定されている。
この一帯は、火山地帯のため、多くの温泉を有している。火山としての八ヶ岳は歴史時代、確実な噴火記録は残っていないが、888年に北八ヶ岳の天狗岳が崩壊し、その結果、松原湖などの湖が誕生したと考えられている。崩壊の原因は噴火とも地震とも言われているが、地震、噴火とも今もって全く証拠が見つからず、大きな謎になっている[1]。また歴史上の記録には残っていないが、北横岳には地質的に新しい溶岩噴出があり、最近の研究では600〜800年前の噴出と見られている[2]。
広大な裾野は、東側の清里高原や野辺山高原、西側の富士見高原や蓼科高原などで知られている。夏の冷涼な気候を利用してレタスやキャベツなどの高原野菜の栽培が行われている。
山麓には伏流水が湧くため、特に西南側の裾野一帯にかけて縄文時代の遺跡が濃密に分布する。長野県側では井戸尻遺跡や尖石遺跡が知られる。山梨県側では縄文草創期の神取遺跡︵北杜市、旧北巨摩郡明野村︶や青木遺跡をはじめ、諸磯式期の天神遺跡︵旧大泉村︶がある。縄文中期には拠点集落が山麓地域から甲府盆地へ移るが、八ヶ岳山麓でも敷石住居群が見られる上ノ原遺跡がある。後晩期には全域的に遺跡数が減少するものの、金生遺跡︵旧大泉村︶は集落跡と祭祀施設が複合した遺跡で、縄文時代の精神文化が現れた配石遺構が見られる。
主な山・峠
南八ヶ岳
動植物
植生は、海抜1,700m以下が落葉広葉樹林、海抜約2,500m以下が亜高山帯針葉樹林、それ以上がハイマツ帯となっている。西岳の海抜1,700m付近の一角には、希少種のヤツガタケトウヒが自生している。かつては生息していたライチョウは、ハイマツの減少や登山客によるゴミの放置によるキツネなど肉食獣の増加により、八ヶ岳一帯では絶滅したものと見られている。
北八ヶ岳の縞枯山や蓼科山・北横岳では、縞枯れ現象(写真) が見られる。 縞枯れは、亜高山帯針葉樹林のシラビソ・オオシラビソが帯状に枯れ、その縞枯れの帯が、山頂に向かって長い年月をかけ移動していく現象である。遠方からは、山の斜面に何列もの白い縞に見える。
神話
主な山小屋
脚注
関連項目
外部リンク