八幡神社 (町田市)

日本の東京都町田市にある神社


箭簳八幡宮
所在地 東京都町田市矢部町2666
位置 北緯35度34分44.86秒 東経139度24分21.02秒 / 北緯35.5791278度 東経139.4058389度 / 35.5791278; 139.4058389 (八幡神社 (町田市))座標: 北緯35度34分44.86秒 東経139度24分21.02秒 / 北緯35.5791278度 東経139.4058389度 / 35.5791278; 139.4058389 (八幡神社 (町田市))
主祭神 応神天皇(誉田別命)
神体 木製彩色座像
創建 616年
別名 木曽八幡宮(旧称)・矢部八幡宮
例祭 9月15日
地図
箭簳八幡宮の位置(東京都内)
箭簳八幡宮

箭簳八幡宮

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概要

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61624[1]34殿

41567[3]

[4][5]稿殿[6][7]

510628178812殿殿51720[8]殿7[9]

祭神

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応神天皇(誉田別命)八幡神神功皇后(配祀神)

祭礼

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  • 奥宮開扉大祭
    • 33年に一度開催される、奥宮本開帳の祭り。期間中は応神天皇の御霊を移した、木製彩色座像(特大の雛人形の大きさ)の御神体を見ることができる。次回の開催は2046年(予定)である。
  • 例祭
    • 箭幹八幡獅子舞
    • 御神輿
    • 稚児行列
  • 木曽の祭り(正式名称不明)
    • 御神輿
    • 山車
    • 囃子

境内

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両部鳥居

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3024

神楽殿

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1570[10]

鐘楼

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161941281953

神輿

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鐘楼横の倉庫の中には、氏子木曽町の「大神輿」が格納されている。秋に行われる木曽町の祭りは当神社の出張祭であり、白鳥を形どった白衣を身につけた担ぎ手がお囃子と共に町内を練り歩き、上宿こども会所属の子供たちが山車で巡行する。なお「大神輿」は大正初期の作である。毎月第1第2の日曜日に保存会の方が扉を開けて外から見物できるようにしている。

随身門

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姿殿

子育て獅子

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拝殿

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大正四年に建造。老朽化が心配されている。 近傍の石碑には以下のように記されている。

--箭幹八幡宮由緒-- 康平五年 源義家安倍氏を討ち 奥州より帰る途中 木曽に宿り 病にかかって毎夜悪鬼に責められる夢に見た 当社に祈願せしめられたところ 夢に神翁現れ 悪鬼を射倒すと見て病忽ち快癒した ここに於て本宮末社に至るまで尽く再興して神思に報いたと言い この時屋根に羽矢を挿入し 又境内に矢竹繁茂せるを以て 箭幹八幡宮と名づけこの地を矢部と称したと伝う 保元平治の乱に破れた源義賢は大蔵の館に拠り これを迎撃した源義平は 木曽仲三兼任 渋谷金王丸 鎌田正清等を率いて 図師原附近に於て会戦した 勝敗容易に決せず両軍乱戦死闘 義平の軍危しと見えた時 突如老翁と童子現れ 八幡宮の化身ならんと 神意を恐れ 遂に社前に和睦を誓った この時甲冑矢の根を埋めた所を根岸と名づけた 後 小山田有重所領十七郷の総鎮守として尊信篤く 社地建造物の寄進も多く 社参の道に今も鳥居坂の地名が残っている 寛文五年 代官高木伊勢守大鐘を鋳て鐘楼に掛け 後 代官簗田隠岐守亦社殿を再建して 領民と共に盛大な祭儀を挙行した 明治に至り宮号は廃止されたが 戦後再び古名を復した 祭神の神徳広大 学問 産業 災厄防除の守護神として広く尊信されている

本殿

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総ケヤキ造り、一間社流れ造り、「覆殿」で雨風を防いでいるので保存状態は良好。本殿床下内部に墨書が見つかり、建立年が 寛政6年(1794年)であることが判明している。

民話と伝承

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使[11]


退姿退[5]

アクセス

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  • 町田街道の「桜美林学園東」の信号を、「淵野辺駅」方面に向かって、最初の信号「箭幹八幡」を右折して駐車場へ
  • 町田駅前通りの終点(箭幹八幡交差点)から直進し、道なりに進んで駐車場へ

バス・電車

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  • JR淵野辺駅北口から徒歩18分
  • JR淵野辺駅北口からバス「矢部八幡前」下車徒歩2分
  • JR橋本駅からバス「矢部」下車徒歩2分
  • JR町田駅または小田急線町田駅からバス「桜美林学園前」「日向根トンネル」下車徒歩2分、「忠生都営住宅前」下車徒歩5分

付近の神社

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脚注

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注釈

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  1. ^ 東京都神社庁の紹介ページには「勅命により京都石清水八幡宮より勧請された」とあるが[1]、箭簳八幡宮HPには「総本宮たる九州の宇佐神宮の御霊を勅命により勧請した」とあり[2]、微妙に食い違っている。

出典

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  1. ^ 八幡社【箭幹八幡宮】 東京都神社庁
  2. ^ 箭幹八幡宮の由来 箭簳八幡宮
  3. ^ 『箭幹社八幡宮記』
  4. ^ 木曽秋葉神社発行『史跡を訪ねて』
  5. ^ a b 町田市教育委員会編纂『町田の民話と伝承』
  6. ^ 「木曽村 矢幹八幡社」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ90多磨郡ノ2、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763988/49 
  7. ^ 森山兼光著『町田風土記』
  8. ^ 町田市教育委員会編纂『町田市史』下巻
  9. ^ 町田市教育委員会編纂『町田市史』上巻
  10. ^ 町田市教育委員会設置史跡説明板『町田市指定無形民俗文化財 矢部八幡宮獅子舞』
  11. ^ 町田市教育委員会編纂「町田の歴史をたどる」

参考文献

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  • 東京都神社庁HP
  • 八百万の神

関連項目

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外部リンク

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